日本歴史地名大系 「岩佐村」の解説 岩佐村いわさむら 岐阜県:山県郡美山町岩佐村[現在地名]美山町岩佐現美山町の最南端にあり、武儀(むぎ)川右岸に位置し、対岸に枝村の樫瀬(かぜ)がある。東は武儀郡谷口(たにぐち)村(現武芸川町)、南は椎倉(しぐら)村(現高富町)、北は武儀郡中洞(なかぼら)村、畑野富永(はたのとみなが)村。大門(だいもん)にはかつて古墳があり、刀や土器類が出土した。天正一七年(一五八九)の検地帳(山田文書)が残り、高五三〇石余。武儀郡に属する。幕府領から元和五年(一六一九)尾張藩領となる。正保郷帳では田方三九九石余・畑方一三〇石余、紙舟役一三石余、山年貢二二石余。 岩佐村いわさむら 高知県:安芸郡北川村岩佐村[現在地名]北川村安倉(あぐら) 岩佐奈半利(なはり)村(現奈半利町)と野根(のね)村(現東洋町)を結ぶ野根山(のねやま)街道(土佐街道東街道の一部)のほぼ中央、標高九八〇メートルの山中にある岩佐番所を中心とした村。北は蛇谷(じやだに)の森林、南ははるか太平洋を望む。南に山を下ると安居(あんご)・段(だん)(現室戸市)の集落を経て、佐喜浜(さきはま)川沿いに佐喜浜(さきのはま)村(現室戸市)に出る。元禄郷帳に「岩佐村新田」として一〇石が記されるように、江戸時代前期に番所を中心に形成された村で、元禄地払帳にはこの一〇石について「右ハ御殿床并番人居屋敷共不貢物立」とある。「土佐幽考」には野根山街道の「絶頂有岩佐村、御当家始建関置守衛四五人、戸数僅十許」と記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報