岩崎憲(読み)いわさきけん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩崎憲」の意味・わかりやすい解説

岩崎憲
いわさきけん
(1891―1978)

生化学者。福島県会津若松市に生まれる。早く両親と死別し、東京・本郷赤門前の薬局に住み込み、苦学して1907年(明治40)私立東京薬学校(現、東京薬科大学)を卒業。1919年(大正8)金沢医科大学(現、金沢大学医学部)の須藤憲三(すとうけんぞう)(1872―1934)の助手となり、1924年ドイツ、オーストリア留学。カイザー・ウィルヘルム研究所(現、マックス・プランク研究所)のマイヤーホーフらについて、当時、勃興(ぼっこう)期にあった細胞内代謝の生化学的研究を学んだ。1931年(昭和6)帰国して金沢医大助教授、1933年同教授となった。特殊な微量ないしは超微量分析法の体系アゾトメトリー)を創案、確立し、その業績により朝日文化賞(1952)、日本学士院賞(1953)などを受けた。

[梅田敏郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「岩崎憲」の解説

岩崎 憲
イワサキ ケン

大正・昭和期の生化学者 元・金沢医科大学教授。



生年
明治24(1891)年7月11日

没年
昭和53(1978)年1月19日

出生地
福島県会津若松市

学歴〔年〕
東京薬学校〔明治40年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔昭和5年〕

主な受賞名〔年〕
日本学士院賞,朝日賞,毎日学術賞

経歴
薬学校を出て独学で医学を修め、大正8年金沢医学専門学校の須藤憲三教授に師事。13年ドイツのベルリン大学、オーストリアのグラーツ大学、カイザー・ウィルヘルム研究所で組織、細胞内物質代謝の研究に従事。昭和6年帰国、金沢医科大学助教授となった。8年教授に昇進。33年退官。この間、極微量窒素の定量法(アゾトメトリー)の開発に努力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩崎憲」の解説

岩崎憲 いわさき-けん

1891-1978 大正-昭和時代の生化学者。
明治24年7月11日生まれ。大正13年ドイツ,オーストリアに留学,細胞内物質代謝を研究。昭和8年金沢医大(現金沢大)教授。超微量窒素の測定による化学定量法(アゾトメトリー)を創案。28年学士院賞。昭和53年1月19日死去。86歳。福島県出身。東京薬学校(現東京薬大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「岩崎憲」の解説

岩崎 憲 (いわさき けん)

生年月日:1891年7月11日
大正時代;昭和時代の生化学者。金沢医科大学教授
1978年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の岩崎憲の言及

【アゾトメトリー】より

…岩崎憲によって創案された微量化学分析法の一種。被験物質にそれぞれ適当な試薬を作用させて,定量的に窒素ガスを発生させ,その容積を測定することによりその物質の量を知るのが原理。…

※「岩崎憲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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