コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

岸竹堂 きし ちくどう

4件 の用語解説(岸竹堂の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

岸竹堂

幕末・明治の画家。近江生。名は昌禄、字は子和、通称は八郎、号は残夢・虎林等。初め狩野永岳に学び、のち岸連山に師事し、岸家を継ぐ。鳥獣画を能くし、特に虎を得意とする。帝室技芸員。明治30年(1897)歿、72才。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

岸竹堂【きしちくどう】

幕末〜明治の日本画家。本名昌禄。彦根藩に生まれ,京都に出て狩野永岳に学んだのち岸連山に師事,その養子となる。岸派の伝統を継ぎながら,洋画の遠近法,陰影法をとり入れ,風景やトラを描いて名を成した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

岸竹堂 きし-ちくどう

1826-1897 江戸後期-明治時代の日本画家。
文政9年4月22日生まれ。狩野永岳や岸連山にまなび,岸家の養子となる。鳥獣画,とくに虎(とら)を得意とし,維新後は風景画に洋画の写実的技法もとりいれた。帝室技芸員。明治30年7月27日死去。72歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。本姓は寺居。名は昌禄。代表作に「猛虎図」「月下猫児図」。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

岸竹堂

没年:明治30.7.27(1897)
生年:文政9.4.22(1826.5.28)
幕末明治期の日本画家。彦根藩士の子。彦根生まれ。名は昌禄。初め同藩の御用絵師に狩野派を学んだのち,天保13(1842)年京都に出て狩野永岳に入門。翌年岸連山に入門して岸派を学び,嘱望されてその養嗣子となる。幕末には二条城や内裏に揮毫するが,明治維新後の画壇沈滞期には,友禅の下絵も描いた。「大津唐崎図」(個人蔵)など遠近表現をとり入れた実景山水も描いたが,岸派の伝統を継いで虎を得意とし,明治23(1890)年第3回内国勧業博覧会,26年シカゴ万博で受賞している。29年帝室技芸員となった。

(佐藤道信)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の岸竹堂の言及

【岸派】より

…岸駒の門人に岸連山(1804‐59)が出,家法に四条派の写生画法を折衷して新生面をひらいた。さらに連山の養子となった岸竹堂(1826‐97)は近代的な視覚も取りいれて幅広い画風を生み,幸野楳嶺,森寛斎と並ぶ明治期の京都画壇を代表する画家となったが,楳嶺門下に竹内栖鳳が,寛斎門下に山元春挙が出たのに比べ,逸材に恵まれずに終わった。岸家は代々有栖川宮家に仕え,1790年,1855年の御所造営に伴う障壁画制作に参画した。…

※「岸竹堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

岸竹堂の関連キーワード井伊 直憲長野たき龍公美彦根市彦根城彦根井伊直定大東義徹島屋平助西村奇石

今日のキーワード

平野美宇

卓球選手。2000年4月14日、静岡県生まれ、山梨県育ち。3歳で卓球を開始。07年に小学1年生で全日本選手権大会バンビの部優勝、09年に小学2年生で同大会ジュニアの部初出場を果たし、注目を集めた。13...

続きを読む

コトバンク for iPhone

岸竹堂の関連情報