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…岸駒の門人に岸連山(1804‐59)が出,家法に四条派の写生画法を折衷して新生面をひらいた。さらに連山の養子となった岸竹堂(1826‐97)は近代的な視覚も取りいれて幅広い画風を生み,幸野楳嶺,森寛斎と並ぶ明治期の京都画壇を代表する画家となったが,楳嶺門下に竹内栖鳳が,寛斎門下に山元春挙が出たのに比べ,逸材に恵まれずに終わった。岸家は代々有栖川宮家に仕え,1790年,1855年の御所造営に伴う障壁画制作に参画した。…
※「岸竹堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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