ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「川上源一」の意味・わかりやすい解説
川上源一
かわかみげんいち
[没]2002.5.25. 静岡,浜松
実業家。1934年高千穂高等商業学校を卒業後,1937年に父の嘉市が社長を務める日本楽器製造(のちヤマハに改称)入社。1950年社長就任。社長主導の経営を展開して同社を世界的な楽器メーカーに育てた。幼児の音楽教育に力を入れ,ヤマハ音楽教室を全国各地に開設し,1966年に財団法人ヤマハ音楽振興会を設立。またオートバイ事業に進出してヤマハ発動機を設立,1955年から 19年間社長を兼務した。スポーツ用品や,リゾート事業も手がけた。1977年にヤマハ社長を退き会長に就任したが,3年後,経営方針をめぐって対立した後継社長を追放して社長に復帰。1983年に長男の浩を社長に据え,厳しい世襲批判を浴びた。熱心に推進した音楽教育に「世界最先端の快挙」と絶賛の声がある反面,「演奏技術にかたより,人間教育がなおざりにされていた」とも指摘され,評価は分かれた。
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