川口宿(読み)かわぐちしゆく

日本歴史地名大系 「川口宿」の解説

川口宿
かわぐちしゆく

[現在地名]川口町川口

三国街道の宿場。江戸寄り堀之内ほりのうち宿(現堀之内町)まで二里八町、長岡寄り妙見みようけん宿(現長岡市)まで三里半六町、小千谷おぢや宿まで二里。元和三年(一六一七)の堀直寄の先触書(小出郷文書集成)には川口の名がない。「温古之栞」所収の寛文二年(一六六二)の高田藩記録妙見・川口・堀之内と継いでいる。延宝八年(一六八〇)の高札写(中林家文書)によると、当宿の人馬は二五匹・二五人とされ、堀之内から当宿、当宿から妙見までの駄賃や重量について定められている。しかし天和二年(一六八二)の宿場拝借米願書(同文書)には「川口宿役相勤申儀、余宿と違信濃川・魚野川を隔小村数六ケ村ニて宿役相勤」とあり、両河川を隔てた六ヵ村で宿役を勤め、ここ三ヵ年は不作が続き、宿役勤百姓七一軒のうち四一軒は宿役が勤まらず、馬も五、六年以前までは二二匹で勤めてきたが、現在は一三匹で、うち八匹は役立たずとある。


川口宿
かわぐちしゆく

[現在地名]一迫町 川口

仙北通の宿場町で、南東真坂まさか宿より当宿を経て北西花山はなやま(現花山村)大門だいもんを過ぎると出羽に至る。なお大門は宿場ではなく、人馬継立所があるのみ。「川口村安永風土記」によれば、宿老遠藤氏の拝領町場で村扱いではないが、同氏居屋敷ならびに家中屋敷の町場は、別に草木くさき川対岸の滝野たきのにあった。同氏が当地に所拝領を受けたのは慶長九年(一六〇四)であり、当宿の成立もこの頃と思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の川口宿の言及

【川口[市]】より

…ほかに伝統産業としては安行地区の植木が有名。【新井 寿郎】
[川口宿]
 日光御成道の宿場。江戸から3里余。…

※「川口宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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