デジタル大辞泉
「川縁」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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かわっ‐ぷちかはっ‥【川縁】
- 〘 名詞 〙 「かわぶち(川縁)」の変化した語。
- [初出の実例]「それから砂村新田の所に繋(つなが)って居ります河っ辺(プチ)へ来たが」(出典:落語・辰巳の辻占(1896)〈四代目橘家円喬〉)
かわ‐べりかは‥【川縁】
- 〘 名詞 〙 川のほとり。川べ。川ばた。〔日葡辞書(1603‐04)〕
- [初出の実例]「川縁(カハベリ)の繁みからは」(出典:田舎教師(1909)〈田山花袋〉四)
かわ‐ぶちかは‥【川縁】
- 〘 名詞 〙 川のふち。川ばた。
- [初出の実例]「河畔(カハフチ)を辿る」(出典:良人の自白(1904‐06)〈木下尚江〉中)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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川縁
かわべり
現益田市横田町・向横田町地域にあった中世的所領。本来は豊田郷とよばれたが、戦国期に豊田郷と豊田・俣賀両氏が益田氏の支配下に入ると、庶子俣賀氏領が分離されるなかで、高津川を挟んだ豊田郷中心部が、川縁とよばれるようになったと考えられる。史料的初見は天文二一年(一五五二)七月一一日の大内義英書下(益田家文書、以下断らない限り同文書)で、益田藤兼が安堵された所領のなかに、「当知行所々」と並んで「川縁等」がみえる。当知行地と別に記されているのは、吉見氏との係争地であったからであろう。同二三年六月三日の益田藤兼書下写(内田家文書)で、益田氏から豊田式部少輔に安堵されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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