田山花袋の長編小説。1909年(明治42)左久良書房刊。人間の持つ真実を描こうとした花袋が田舎教師小林秀三をモデルに,林清三という人物を造型し,創作したものである。“真”に迫るために“事実”を尊重し,徹底した伝聞調査をおこなっている。日露戦争従軍から帰った花袋は義弟の太田玉茗の寺,埼玉県羽生の建福寺で,秀三の真新しい墓標を見て激しく心を動かされ,〈平面描写〉の手法でその生涯を絵巻物のように描いた。中学校を出る時は,近代化されていく明治の青年として,野望に燃え,恋に血をわかし,文学に将来をかけたのであるが,家が没落したうえに,生来病弱な清三はついに結核におかされ,遼陽陥落の日に24歳(事実は21歳)で死んだ。急速に強大化していく日本の社会の底辺に,志を得ずしてたおれた多くの青年の心を,感覚的印象を主体にするゴンクールの〈印象描写〉をも取りいれて,自然の景と人生を花袋自身の青年期の思いに重ねているが,筋のないところにかえって大きな人生を感じさせる作になっている。
執筆者:小林 一郎
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田山花袋(かたい)の長編小説。1909年(明治42)左久良書房刊。埼玉県の旧制熊谷中学校を卒業するときは、激しい野望に燃え、ローマン的空気のなかで、文学に将来をかけようとした林清三も、埼玉県羽生(はにゅう)在の弥勒(みろく)尋常高等小学校の代用教員として落とされて行くときには早くも挫折(ざせつ)感と貧困にさいなまれ、同人雑誌の発行、植物研究、音楽学校受験、雲の研究などすべての努力もしょせん無駄な努力と知った。生来病弱であった清三は、ついに結核に冒され、遼陽(りょうよう)陥落の提灯(ちょうちん)行列の声を聞きながら、短い生涯を閉じたのである。ツルゲーネフやゴンクールの「印象描写」を取り入れ、花袋自身の従軍の体験と、日露戦争下の日本の底辺にいる青年の姿を客観的にとらえようとした作である。
[小林一郎]
『『田舎教師』(岩波文庫・旺文社文庫・角川文庫・新潮文庫)』
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…1992年東北自動車道羽生インターが開設され,市内を通る国道122号,125号の通過車両が増えている。田山花袋の《田舎教師》の舞台で,曹洞宗建福寺にはモデル小林秀三の墓がある。宝蔵寺沼はムジナモ自生地(天)。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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