日本大百科全書(ニッポニカ) 「工場払下概則」の意味・わかりやすい解説
工場払下概則
こうじょうはらいさげがいそく
1880年(明治13)11月5日に布達された太政官(だじょうかん)布告(第48号)で、当時、政府が官営の鉱山、工場を民間に払い下げる契機となった法令。1870年代なかば以降、資本主義育成のための殖産興業政策が展開される過程で、財政節減と民間産業奨励のため、政府は、それまで官営であった諸施設を民間へ払い下げることを決定した。しかし、営業資本の即時納入を前提とするなど、その条件が厳しかったため、払受け希望者がきわめて少なかった。その結果、同法令は4年後に廃止され、以後、官営事業民間払下げは個別の事例ごとに承認される形をとった。
[石塚裕道]
『小林正彬著『日本の工業化と官業払下げ』(1977・東洋経済新報社)』