朝日日本歴史人物事典 「市川団蔵(7代)」の解説
市川団蔵(7代)
生年:天保7.3.20(1836.5.5)
幕末明治期の歌舞伎役者。俳名三猿。本名後藤銀蔵。江戸霊岸島生まれ。3歳で6代目団蔵の養子となり,茂々太郎を名乗り初舞台。その後7代目市川団十郎に入門,また4代目市川小団次の薫陶を受け,3代目市川九蔵を経て,明治30(1897)年団蔵を襲名。幕末期の歌舞伎芸を正しく継承し,古怪な陰翳と渋い芸風を特色とした。明治初年から技倆を高く評価されながら,片意地な性格から長く小芝居や地方を回り,傍流扱いされていたが,最晩年に東京の歌舞伎座や帝国劇場に迎えられ,最後の光芒を放った。団蔵の名跡は,昭和62(1987)年に8代目の孫・銀之助が襲名した9代目におよぶ。<参考文献>市川九蔵(8代目団蔵)『七世市川団蔵』
(石橋健一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報