日本歴史地名大系 「布制神社」の解説 布制神社ふせいじんじや 長野県:長野市篠ノ井地区石川村布制神社[現在地名]長野市篠ノ井石川 上石川県道新町線を篠ノ井(しののい)から一キロ、右側に鳥居が建ち、そこから参道を三〇〇メートル入った奥の布制山に鎮座する。「延喜式」神名帳には更級郡十一座のうちに「布制神社」と記載される。祭神は正殿に大倭根古彦国牽(孝元天皇)・大彦命・彦太忍信命を祀る。祭神大彦命は孝元天皇の子で布勢朝臣の祖神である。崇神天皇の時北陸道に派遣され、信濃に入ってこの地方を開発した。 布制神社ふせいじんじや 長野県:長野市篠ノ井地区布施五明村布制神社[現在地名]長野市篠ノ井布施五明布施五明(ふせごみよう)村字六段(ろくたん)に鎮座する。「延喜式」神名帳の更級(さらしな)郡十一座のなかに「布制神社」と記載されている。祭神は本殿は大彦命。布制神社は大宝年代(七〇一―七〇四)に栄えた布勢氏が祖神大彦命を奉斎した神社である。社地の西方瀬原田(せはらだ)には古墳群があり布勢朝臣の居館跡と伝えられる長者窪(ちようじやくぼ)がある。 布制神社ふせいじんじや 長野県:長野市篠ノ井地区山布施村布制神社[現在地名]長野市篠ノ井山布施山布施(やまぶせ)村の中心地、新屋(あらや)に鎮座する。祭神は天照大神・大彦命。社殿は神明造。社伝によると宝亀八年(七七七)に伊勢神宮から天照大神を、越中国射水(いみず)郡から祖神大彦命を勧請したという。宝暦九年(一七五九)一〇月の松代領神社書上には「社領壱石 神明宮」と記載される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by