改訂新版 世界大百科事典 の解説
帝国イギリス東アフリカ会社 (ていこくイギリスひがしアフリカがいしゃ)
Imperial British East Africa Company
1888年9月3日にイギリス王室勅許状を受けた特許会社。スコットランド出身の資本家マッキノンW.Mackinnon(1823-93)が創設したイギリス領インド蒸気船海運会社が東アフリカのザンジバルへの航路を1872年に開設した際,さらに内陸への進出を計画したことが端緒となった。85年にドイツ東アフリカ会社がザンジバルの対岸の本土部へ進出すると,イギリスはザンジバルの首長を通して東アフリカ沿岸を間接的に確保しようとしたそれまでの方針を変え,マッキノンが以前から主張していた商事会社による内陸統治という考えをとるようになった。86年のロンドン会議でイギリス・ドイツ間に東アフリカにおける両国の勢力範囲を画定する協定が成立し,現在のケニア,ウガンダにあたる地域がイギリスの勢力範囲と定められた。マッキノンの創設したイギリス東アフリカ協会は,この範囲内の行政・司法上の権限と,関税をかける権利をザンジバルの首長よりもらい受け,88年に同協会は25万ポンドの資本金を持つ会社に改組され,同年勅許状を得ることに成功した。会社の主要な目的は,ナイル川水源地域を押さえ,人口稠密(ちゆうみつ)でよく組織されたブガンダ王国その他の王国を勢力下におき,この地域をイギリス製品の市場とすることにあった。このため90年にF.J.D.ルガードを隊長とする統治軍をウガンダに派遣したが,ブニョロ王国などの抵抗に遭い,ルガードはイギリス政府に対しウガンダを保護領とすることを進言,これがいれられ会社は創設6年後に解散した。
執筆者:吉田 昌夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報