帝国国防方針(読み)ていこくこくぼうほうしん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「帝国国防方針」の意味・わかりやすい解説

帝国国防方針
ていこくこくぼうほうしん

軍事国防に関する基本方針を定めた最高国策。日露戦争後の1907年(明治40)、参謀総長海軍軍令部長の協議で内容を定めて上奏し、天皇がこれを内閣総理大臣に下付したうえで決定した。「帝国国防方針」「国防に要する兵力」「帝国軍の用兵綱領」の3文書からなり、仮想敵国、必要な陸海軍の兵力、基本的な戦争遂行の計画を定めている。1918年(大正7)、1923年、1936年(昭和11)の3度にわたって改定が行われた。いずれの場合も陸海軍統帥部(とうすいぶ)の主張の対立から、仮想敵国を絞りきれず、陸軍ロシアソ連)、海軍はアメリカを仮想敵国としての軍備拡張を目指すものとなった。さらに統帥部が主導し、政府はこれに追随するだけだったので、世界最大の陸軍国ロシアに対応する陸軍軍備と、世界最大の海軍国アメリカを相手にする海軍軍備を同時に保持しようとする、国力を無視した国防政策を実行する結果を招いた。しかも国防方針が天皇の裁可を受けたものであったため、統帥部は常にこれを根拠に政府に対し軍備拡張を要求し、1912年の二個師団増設問題をはじめとする度々の政変の原因となった。

藤原 彰]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「帝国国防方針」の解説

帝国国防方針
ていこくこくぼうほうしん

日露戦争後に制定された国防対策の基本方針。陸海軍の統一的戦略方針のもと仮想敵国が決定され,これにより所要兵力と用兵綱領(作戦計画の大綱)を策定。1907年(明治40)4月制定。「国防ハ攻勢ヲ以テ本領」とし,仮想敵国を露・米・仏・独の順とした。所要兵力は陸軍戦時50個師団,海軍戦艦8隻・装甲巡洋艦8隻。策定は陸海軍の協議により行われ,第1次西園寺内閣は追認するにすぎなかった。以降,国際情勢の変化をうけて仮想敵国の変更などの改定を,18年(大正7),23年,36年(昭和11)に実施。制定・改定時には,ロシア(ソ連)を主敵とし「陸主海従」の方針をとる陸軍と,これに反発し,アメリカを主敵とする海軍が激しく対立した。

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百科事典マイペディア 「帝国国防方針」の意味・わかりやすい解説

帝国国防方針【ていこくこくぼうほうしん】

第2次大戦前の日本の国防基本方針で特に想定敵国を定めたもの。1906年山県有朋の上奏を契機に翌1907年に決定。最初の想定敵国はロシア。1918年,1923年,1936年の3次にわたり改定,陸軍は対ソ,海軍は対米中心の軍備を整えた。→八八艦隊

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