1907年制定された帝国国防方針にもとづく,戦艦8隻,装甲巡洋艦(のちに巡洋戦艦と改称)8隻を主力とする日本海軍の建艦計画。計画完成には膨大な費用を要するため,段階的な実現がはかられたが,13年のシーメンス事件で一頓挫し,ようやく17年八四艦隊案,18年八六艦隊案の予算が議会で成立し,20年原敬内閣のもとで全面実現をめざす予算が実現した。これによると,27年度までに〈長門,陸奥,加賀,土佐,紀伊,尾張,第11・12号戦艦〉と〈天城,赤城,高雄,愛宕,第8~11号巡洋戦艦〉を保有する予定であったが,1921年のワシントン軍縮会議(四ヵ国条約)の結果,中絶し,戦艦の長門,陸奥と,航空母艦に転換された赤城,加賀のみがつくられた。
執筆者:粟屋 憲太郎
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アメリカを仮想敵国とする戦艦八隻、巡洋艦八隻を主力とする日本海軍の建艦計画。1907年(明治40)策定の「帝国国防方針」に基づく海軍の国防所要兵力で八八艦隊の方針が決定された。しかし日露戦後の財政困難はその実現を許さず、1914年(大正3)の防務会議で八四艦隊案が認められ、その予算が通過したのは17年の第39議会であった。その翌年の第40議会では八六艦隊成立に必要な予算が通過した。以上のような経過措置を経て、20年の第43議会で八八艦隊の予算が通過した。これによると27年(昭和2)完成の予定であったが、21年のワシントン軍縮会議の結果、計画は変更となり、戦艦は長門(ながと)、陸奥(むつ)と、のちに航空母艦に転換された赤城(あかぎ)、加賀(かが)の四隻がつくられただけで終わった。
[由井正臣]
『防衛庁戦史室編『大本営海軍部・聯合艦隊(1)』(1975・朝雲新聞社)』
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明治末~大正期に日本海軍が目標とした艦隊整備の基準。1907年(明治40)4月4日裁可の初度決定の「帝国国防方針」に付属する「国防所要兵力」中に,第一線艦隊として艦齢8年以内の戦艦8隻・装甲巡洋艦8隻を備えるとされたのが起源。大正期になると先進海軍国の装甲巡洋艦は巡洋戦艦に発展し,整備基準は戦艦8隻・巡洋戦艦8隻に転化。八八艦隊完成の予算が議会で承認されたのは20年(大正9)6月で,27年(昭和2)末までに目標が達成される予定であったが,ワシントン海軍軍縮条約は日本の保有を戦艦6隻・巡洋戦艦4隻と決定,目標は予算成立のみで,長門・陸奥と空母に改造された加賀・赤城のみが竣工した。
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…日露戦争後,日本海軍はアメリカを仮想敵国として大規模な軍備拡張に向かった。各国による建艦競争が始まると,軍艦の国産化を達成した日本は八八艦隊の実現をめざした。しかし海軍予算は国家財政中最大の比重を占めて国民生活を圧迫し,国際的にも軍縮の世論が高まったため,1922年のワシントン海軍軍縮条約(四ヵ国条約)により主力艦の制限が実現した。…
※「八八艦隊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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