日本大百科全書(ニッポニカ) 「常盤井宮」の意味・わかりやすい解説
常盤井宮
ときわいのみや
1304年(乾元2)に誕生した、亀山天皇の皇子恒明親王(つねあきらしんのう)を初代とする宮家。それまでにも官名や居所名などを冠して、個人を「某宮」と称することはあったが、その邸宅や所領が子孫に相伝されて家として成立し、代々の当主が親王宣下を受け、家号としての宮号を世襲するという、世襲親王家の体裁を初めて整えた。宮号は、親王が居所とした御所、常盤井殿に由来する。常盤井殿は、父から母の昭訓門院瑛子(しょうくんもんいんえいし)を経て、親王に譲られた。昭訓門院は亀山天皇の寵愛を受けたことで知られ、このため親王も厚く遇されて、将来皇位につくことと定められ、後二条天皇の遺領である大覚寺領の多くを伝領した。しかし父が没すると、兄の後宇多天皇(ごうだてんのう)は皇位の継承を実行しなかったので、その機会を失ったまま1351年(観応2)に没した。その後全仁・満仁・直仁・全明・恒直と親王宣下を受けて宮家は存続したが、1552年(天文21)8月の恒直親王死没記事を最後に、同家に関する記事は見られなくなる。
[櫻井 彦]
『児玉幸多編『日本史小百科8』(1978・近藤出版社)』▽『宮内庁書陵部編纂『皇室制度史料 皇族4』(1986・吉川弘文館)』