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平良兼 たいらのよしかね

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

平良兼
たいらのよしかね

[生]?
[没]天慶2(939).6.
平安時代中期の武将。高望王の2子,鎮守府将軍常陸大掾国香の弟。下総介。承平5 (935) 年国香が甥将門に討たれ,弟良正も将門に敗れ良兼を頼った。日頃将門と不和であった良兼は,国香の子貞盛を味方に入れ,下野,常陸,下総に戦い,勝ち負けを続けた。同7年,将門の本拠に夜襲をかけたが敗れ,再起できずに病没した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

平良兼 たいらの-よしかね

?-939 平安時代中期の武人。
平高望(たかもち)の子。所領問題などで兄国香とともに甥(おい)の平将門(まさかど)と対立。承平(じょうへい)5年国香が将門に討たれたあと,弟良正,国香の子貞盛らとともに将門と戦いをくりかえした。天慶(てんぎょう)2年6月死去。

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朝日日本歴史人物事典の解説

平良兼

没年:天慶2(939)
生年:生年不詳
平安中期の東国の武将。父は賜姓平氏一世の高望。上総国(千葉県)に蟠踞して常陸国(茨城県)の国香や下総北部(茨城県)の将門,良正ら一族と対立した。承平5(935)年から7年にかけて,女性問題や弟良持の遺領をめぐり兄国香と組んで甥の将門と戦った(平将門の乱)。ここで承平5年国香が将門に討たれると,将門との戦いの中心的な存在となり,国香の遺児貞盛,弟の良正らと共に戦ったが,病を得,出家して間もなく死んだ。同族との戦いに明け暮れた一生だったが,常々道心を持ち仏法を崇め,合戦を好まなかったという。

(朧谷寿)

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