プロ野球選手(外野手:右投右打)、監督。8月27日、広島県生まれ。大竹高から1955年(昭和30)に投手として南海ホークス(現、福岡ソフトバンクホークス)へ入団するが、すぐに野手へ転向。1957年に一軍に定着し、1958年から正遊撃手となった。以降、リーグを代表する俊足ランナーとして活躍、1961年に外野手へ転向してからは5年連続盗塁王を獲得した。1963年には626打数で187安打をマークしたが、打数はプロ野球記録(2015年時点)であり、安打数も1994年(平成6)にイチローに破られるまでパシフィック・リーグ記録であった。1964年は自己最高の打率3割6分6厘で首位打者を獲得して南海の日本一に貢献、野村克也(かつや)、杉浦忠(ただし)らとともに黄金時代を築き上げ、1966年までのリーグ3連覇を支えた。スピードを生かして広い守備範囲を誇り、遊撃手時代から定評のあった強肩も武器となり、1972年にはダイヤモンドグラブ賞(現、ゴールデン・グラブ賞)も受賞、また1977年で引退するまでに歴代2位の通算596盗塁を記録した。1978年から1980年まで南海の監督を務めた。
[出村義和 2016年9月16日]
選手としての22年間の通算成績は、出場試合2190、安打2157、打率2割8分2厘、本塁打131、打点705。獲得したおもなタイトルは、首位打者1回、盗塁王5回、ベストナイン3回、ダイヤモンドグラブ賞(現、ゴールデン・グラブ賞)1回。監督としての通算成績(3年)は、390試合、136勝227敗27分け、勝率3割7分5厘。1999年(平成11)野球殿堂(野球殿堂博物館)入り。
[編集部 2016年9月16日]
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新