出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…日本に職業的料理人が最初に姿を見せたのは律令制下の宮内省内膳司(ないぜんし)と大膳職(だいぜんしき)においてで,その任務は中国直輸入の食禁(じつきん)(食合せ)に基づいて食事を調進し,とくに内膳司では供御(くご)の毒味をすることであった。その後は,宮廷外でも庖丁人として名を得た人々があり,その逸話が《今昔物語集》その他に伝えられているが,いずれもいかにみごとに材料を切るかが関心の的だったらしく,調味のしかたなどを記録したものはない。〈柚(ゆ)をきることは杯酌至極のときの肴物(さかなもの)〉(《古今著聞集》)といったように,どういうわけか酒宴たけなわのときにユズを切ってみせるのが酒興を添えるさかなだとするような通念があり,そうした場合,故実に基づいた正しい切り方をするのが〈名誉の庖丁人〉とされた。…
…料理用の刃物。本来は《荘子》に見える古代中国の名料理人の名で,転じて料理する人をいった。日本では〈料理すること〉をもいうようになり,料理する人を包丁人,包丁者,料理に使う刀を包丁刀と呼ぶ風を生じ,さらに包丁刀を略して包丁というようになった。包丁刀を単に包丁と呼んだ例は《今昔物語集》巻二十八に見られる〈鞘(さや)なる庖丁〉あたりが古く,それ以前は小刀,短刀の意味で刀子(とうす)と呼んでいた。《延喜式》内膳司の条下には,供御用の刀子として年間77枚が計上され,その中には〈蠣(かき)〉をむくためのもの10枚,〈鰒(あわび)〉を切るためのもの2枚も含まれていた。…
…令制下の大膳職,内膳司,春宮坊主膳監には調理,饗膳(きようぜん)のことに従う膳夫が所属し,磐鹿六鴈を祖とする高橋氏は代々内膳司の長官に任ぜられた。平安末期ころから庖丁者(ほうちようじや),庖丁人といったことばが現れてくる。《徒然草》の園別当入道(そののべつとうにゆうどう)藤原基氏の話に見られるように,伝統的な規式によって魚などを切りうる人を指したことばで,それが料理の名人と同義であったことは,まさしく日本の料理のありようを象徴するものであった。…
※「包丁人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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