引手茶屋(読み)ヒキテヂャヤ

デジタル大辞泉 「引手茶屋」の意味・読み・例文・類語

ひきて‐ぢゃや【引(き)手茶屋】

遊郭で、客を遊女屋へ案内する茶屋

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精選版 日本国語大辞典 「引手茶屋」の意味・読み・例文・類語

ひきて‐ぢゃや【引手茶屋】

  1. 〘 名詞 〙 江戸時代吉原遊郭や岡場所で、遊客遊女屋に案内する茶屋。また、その店の者。遊里内にあって、遊客を遊女屋へ送り迎えしたり、酒宴をさせたりする家。一流の遊女屋は、直接に客を店にあげないで、必ずこの茶屋を通す風習であった。引手
    1. [初出の実例]「『よる所がある』と、引手茶や、ゐばらき屋へよる」(出典:洒落本・寸南破良意(1775)一座)

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改訂新版 世界大百科事典 「引手茶屋」の意味・わかりやすい解説

引手茶屋 (ひきてぢゃや)

遊廓にあった茶屋の一種。引手茶屋がもっとも発達した江戸吉原では,高級遊女と遊興しようとする客は,まず引手茶屋にいった。そこで芸者幇間(ほうかん)らを招き,酒食をとって遊ぶうちに,指名の遊女が従者をつれて迎えにくるので,適当なころに同道して遊女屋へいくのが通常の遊興形式であった。吉原には古くから五十軒茶屋,編笠茶屋,揚屋茶屋などの休息所的な茶屋があった。これらの茶屋が客を案内して妓楼へつれていくようになり,さらに揚屋衰滅するに及んで発展し,仲の町の両側を埋めつくすほどになった。初めは遊女屋に従属していたが,遊女屋での遊興費の支払が引手茶屋を窓口として行われていたため,案内料のほかに遊女屋での遊興代から口銭を差し引くようになって勢力を増し,両者対等の立場に立って競争し,紛争も生じた。吉原のほか品川,新宿や岡場所にも類似の茶屋があったが,揚屋制度が整備していた関西の遊里には発達しなかった。明治以後は警察の管轄下に入ったが,花柳街の進出と遊廓の性格が変化したため急激に減少し,第2次大戦中に消滅した。
茶屋
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「引手茶屋」の意味・わかりやすい解説

引手茶屋
ひきてぢゃや

遊廓(ゆうかく)で遊女屋へ客を案内する茶屋。江戸中期に揚屋(あげや)が衰滅した江戸吉原でとくに発達した。引手茶屋では、遊女屋へ案内する前に、芸者らを招いて酒食を供するなど揚屋遊興の一部を代行した形であった。そこへ指名の遊女が迎えにきて遊女屋へ同道した。引手茶屋の利用は上級妓(ぎ)の場合に限られたから、遊廓文化の中心的意義をもった。全盛期には仲ノ町の両側に並び尽くしたが、明治中期ごろから急速に衰退した。

原島陽一]

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