生没年不詳。室町末期の儒者で、土佐南学(とさなんがく)の祖。もと大内義隆(おおうちよしたか)に仕え、その御伽衆(おとぎしゅう)の一人であったが、1548~1549年(天文17~18)土佐(高知県)弘岡(ひろおか)城主吉良宣経(きらのぶつね)(生没年不詳)の賓師(ひんし)となって活躍した。彼は、儒学においては道義の学としての宋学(そうがく)に拠(よ)り、「慎独(しんどく)」(道に背かぬよう心がけて、自ら身を慎むこと)を基本とした道徳的実践や、三綱五常(さんこうごじょう)(儒教で人間の重んずべき君臣、父子、夫婦の三つの道と、仁義礼智(ち)信の五つの道徳)に基づく統治を説き、戦国武将宣経をして儒教による統治を決意させた。他方、心法では禅のくふうを勧め、中国春秋時代の思想家孫子(そんし)・呉子(ごし)の兵法も説くという当時の禅儒と共通の傾向をもっている。
[源 了圓 2016年7月19日]
『足利衍述著『鎌倉室町時代之儒教』(1932・日本古典全集刊行会)』▽『寺石正路著『南学史』(1934・冨山房)』
(柴田篤)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
生没年不詳。戦国期の儒学者。実在は疑問視される。南村は号で「なんそん」と読むという説もある。朱子の新注にもとづいて四書を講じ,儒禅一致の立場をとったことから五山の学風をうけたと考えられる。周防国の大内義隆に仕え,1548年(天文17)か翌年頃に土佐国に赴き51年まで吉良宣経に仕え,儒学と兵法を講じた。晩年は周防に戻り生涯を終えたらしいが,土佐での活躍がのちに谷時中(じちゅう)や山崎闇斎などの南(海南)学派を輩出するもととなった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…文芸では五山文学の双璧とされる義堂周信,絶海中津,これを継いだ旭岑瑞杲(別号待雨)などがある。ただ南学の祖として喧伝される南村梅軒は,大高坂芝山の捏造(ねつぞう)した架空の人物である。美術工芸品としては金剛頂寺,妙山寺,金林寺,禅師峯寺,竹林寺,雪蹊寺,宗安寺,大平寺などに鎌倉・室町期の仏像,仏具,仏画などが残されており,建築では長宗我部元親修造の国分寺金堂,土佐神社社殿がある。…
※「南村梅軒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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