南村梅軒(読み)ミナミムラバイケン

デジタル大辞泉 「南村梅軒」の意味・読み・例文・類語

みなみむら‐ばいけん【南村梅軒】

室町後期の儒学者。周防すおうの人。天文年間(1532~1555)の末、土佐に行き、吉良宣経きらのぶつねに仕えて朱子学を説いた。土佐南学の祖とされる。生没年未詳。

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精選版 日本国語大辞典 「南村梅軒」の意味・読み・例文・類語

みなみむら‐ばいけん【南村梅軒】

  1. 室町末期の儒者。離明と号す。周防国山口県)の人。大内義隆に仕え、僧桂庵から程朱学を学ぶ。天文(一五三二‐五五)の頃、土佐国高知県)に渡って吉良宣経もとで程朱学を講じ、その学派藤原惺窩京学に対して南学と称せられた。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「南村梅軒」の意味・わかりやすい解説

南村梅軒
みなみむらばいけん

生没年不詳。室町末期の儒者で、土佐南学(とさなんがく)の祖。もと大内義隆(おおうちよしたか)に仕え、その御伽衆(おとぎしゅう)の一人であったが、1548~1549年(天文17~18)土佐(高知県)弘岡(ひろおか)城主吉良宣経(きらのぶつね)(生没年不詳)の賓師(ひんし)となって活躍した。彼は、儒学においては道義の学としての宋学(そうがく)に拠(よ)り、「慎独(しんどく)」(道に背かぬよう心がけて、自ら身を慎むこと)を基本とした道徳的実践や、三綱五常(さんこうごじょう)(儒教で人間の重んずべき君臣父子、夫婦の三つの道と、仁義礼智(ち)信の五つの道徳)に基づく統治を説き、戦国武将宣経をして儒教による統治を決意させた。他方、心法では禅のくふうを勧め、中国春秋時代の思想家孫子(そんし)・呉子(ごし)の兵法も説くという当時の禅儒と共通の傾向をもっている。

[源 了圓 2016年7月19日]

『足利衍述著『鎌倉室町時代之儒教』(1932・日本古典全集刊行会)』『寺石正路著『南学史』(1934・冨山房)』

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朝日日本歴史人物事典 「南村梅軒」の解説

南村梅軒

生年:生没年不詳
戦国時代の儒学者。梅軒は号。南村も号だという説もある。生地や出身も明確ではないが,朱子学を学び,周防山口の大内義隆に仕える。その後,天文年間(1532~55)に土佐に至り,弘岡城主吉良宣経の賓客となり学問を講じた。宣経が没したのち,土佐を離れて周防に帰り,大内義長に仕えるが,義長が毛利元就に敗れて自刃すると,周防の吉敷郡上宇野郷白石(山口県)に隠棲し,そこで没した。朱子学を尊崇したが,同時に儒禅一致を唱えた。日常生活のなかでの朱子学の実践を重んじたためである。門人の禅僧天室の門から谷時中が出たことから,以後確立される土佐南学派の始祖といわれる。

(柴田篤)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「南村梅軒」の解説

南村梅軒
みなみむらばいけん

生没年不詳。戦国期の儒学者。実在は疑問視される。南村は号で「なんそん」と読むという説もある。朱子の新注にもとづいて四書を講じ,儒禅一致の立場をとったことから五山の学風をうけたと考えられる。周防国の大内義隆に仕え,1548年(天文17)か翌年頃に土佐国に赴き51年まで吉良宣経に仕え,儒学と兵法を講じた。晩年は周防に戻り生涯を終えたらしいが,土佐での活躍がのちに谷時中(じちゅう)や山崎闇斎などの南(海南)学派を輩出するもととなった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南村梅軒」の解説

南村梅軒 みなみむら-ばいけん

?-? 戦国時代の儒者。
もと大内義隆の臣といわれる。「吉良物語」によれば,天文(てんぶん)17-18年(1548-49)ごろ土佐(高知県)弘岡の吉良峰(きらがみね)城主吉良宣経(きら-のぶつね)にまねかれ,朱子学にもとづく実践道徳や兵学を講義し,宣経の死により土佐をはなれたという。南学の祖とされる。別号に離明翁。

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旺文社日本史事典 三訂版 「南村梅軒」の解説

南村梅軒
みなみむらばいけん

生没年不詳
室町末期の儒者。海南学派の祖
周防 (すおう) (山口県)の人。周防の大内義隆に仕えた後,16世紀中ごろ土佐(高知県)に行き,弘岡城主吉良宣経に仕え儒書・武経を講じた。禅にも通じ,儒禅一致に立つ儒教道徳を説き,その門から谷時中らが出た。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南村梅軒」の意味・わかりやすい解説

南村梅軒
みなみむらばいけん

室町時代末期の朱子学派の儒学者。号は離明。大内義隆に仕え,僧桂庵に程朱学を学び,のち吉良宣経に招かれ朱子学を講じた。土佐に朱子学を伝えたので南学の祖と呼ばれる。

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世界大百科事典(旧版)内の南村梅軒の言及

【土佐国】より

…文芸では五山文学の双璧とされる義堂周信,絶海中津,これを継いだ旭岑瑞杲(別号待雨)などがある。ただ南学の祖として喧伝される南村梅軒は,大高坂芝山の捏造(ねつぞう)した架空の人物である。美術工芸品としては金剛頂寺,妙山寺,金林寺,禅師峯寺,竹林寺,雪蹊寺,宗安寺,大平寺などに鎌倉・室町期の仏像,仏具,仏画などが残されており,建築では長宗我部元親修造の国分寺金堂,土佐神社社殿がある。…

※「南村梅軒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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