弘川寺(読み)ひろかわでら

日本歴史地名大系 「弘川寺」の解説

弘川寺
ひろかわでら

[現在地名]河南町弘川

うめ川の源流地帯にあり、葛城山北西麓に位置する。真言宗醍醐派、龍池山瑠璃光院と号し、本尊薬師如来。寺伝は天智天皇四年(六六五)役小角の草創という。天武天皇五年(六七六)旱魃に際し役小角が祈雨を修し、寺号を下賜され勅願寺になったと伝える。天平年間(七二九―七四九)行基が当寺で修行をしたといわれ、宝亀年間(七七〇―七八一)沙門光意も当寺で修学した(元亨釈書)。したがって八世紀頃には伽藍堂宇が整っていたと考えられるが、弘仁三年(八一二)空海が嵯峨天皇の命によって来寺し寺観を一新したという。のちに空海を中興とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「弘川寺」の解説

弘川寺

(大阪府南河内郡河南町)
大阪みどりの百選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の弘川寺の言及

【河南[町]】より

…丘陵地ではミカン栽培も行われる。天智朝に役行者(えんのぎようじや)が創建し,天武朝に勅願寺となったと伝え,西行が没したといわれる弘川寺や空海によって命名されたと伝える高貴寺がある。【松原 宏】。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」