日本歴史地名大系 「弥勒院跡」の解説
弥勒院跡
みろくいんあと
弥勒院跡
みろくいんあと
県道和田―上河合線の東の
尭雅僧正関東下向記録(三宝院文書)の第二度之御下向の項に、永禄三年(一五六〇)八月二一日「於久米弥勒院平座万タラ供執行云々、月日無之」とあり、また同四年正月一七日「久慈郡於久米弥勒院印可」とみえる。「水府志料」によるともと久米村にあり、住持が武士の妻と密通して二人は殺され、寺中に埋められたが印に桜を植え、これを弥勒院桜とよんだという。また同書はのち弥勒院は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報