張作霖爆死事件(読み)ちょうさくりんばくしじけん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「張作霖爆死事件」の意味・わかりやすい解説

張作霖爆死事件
ちょうさくりんばくしじけん

1928年6月4日,張作霖北京から奉天へ特別列車で引揚げる途中,満鉄線と京奉線の交差地点で,関東軍参謀河本大作らの謀略によって,腹臣の呉俊陞らとともに爆殺された事件。田中義一内閣の張作霖温存策に反発した関東軍が,張を暗殺し,混乱に乗じて満州を支配することをねらったのであるが,事件の真相を知った張の子張学良は国民党政府と結び,12月 29日には東三省青天白日旗を一斉に掲揚させ (易幟) ,これによって国民党政府による中国統一が成るにいたった。日本国内では「満州某重大事件」と呼ばれ,野党の攻撃を招き,田中内閣は天皇の信用を失った結果,29年7月総辞職した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「張作霖爆死事件」の解説

張作霖爆死事件
ちょうさくりんばくしじけん

張作霖爆殺事件とも。関東軍が張作霖を通じた東三省(満州)間接支配を放棄し,その地域の武力制圧を企図しておこした列車爆破事件。国民革命軍による北伐が東三省にせまったため,関東軍は張を下野させて東三省に新政権を樹立し,国民政府からの独立を構想していた。しかし,関東軍高級参謀河本大作大佐は,南満州鉄道線と京奉線の立体交差地点で北京から退去する張の列車爆破を計画。1928年(昭和3)6月4日午前5時23分,奉天(現,瀋陽)郊外で列車は爆破され,張は瀕死重傷を負って2日後に死亡した。国内では翌年「満州某重大事件」として問題となり,首謀者の処罰問題をめぐり田中義一首相は天皇から譴責され,辞表を出した。

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