中国、遼寧(りょうねい)省中部の副省級市(省と同程度の自主権を与えられた地級市)で、同省の省都。旧称奉天(ほうてん)。略称は瀋。和平(わへい)、瀋河(しんが)、大東(だいとう)、皇姑(こうこ)、鉄西(てつせい)、蘇家屯(そかとん)、渾南(こんなん)、于洪(うこう)、遼中(りょうちゅう)、瀋北(しんほく)新区の10市轄区と2県を管轄し、新民(しんみん)市の管轄代行を行う(2017年時点)。人口730万4000、市轄区人口529万9000(2015)。東北地区最大の総合工業都市であるとともに、同地区の政治、経済、文化の中心で、交通上の中枢ともなっている。年平均気温は8.5℃、年降水量は725.5ミリメートル。札幌市、川崎市、浜松市と姉妹都市提携を結ぶ。
[浅井辰郎・編集部 2018年1月19日]
古くから北方遊牧民族と漢民族との争奪の地であった。明(みん)のとき瀋陽中衛が置かれ、明末、満洲(まんしゅう)族が興ると清(しん)の太祖ヌルハチは1625年、ここを都とし盛京(せいけい)とよんだ。1644年の北京(ペキン)遷都後は陪都(ばいと)とされた。このため盛京将軍が置かれ、別に民政機関として奉天府も設置された。このことから瀋陽は以後しばしば奉天ともよばれるようになった。
19世紀末、ロシア、日本が東北に進出すると、瀋陽はその重要な目標となった。1920年代、軍閥張作霖(ちょうさくりん)はここを根拠として全東北を支配したので奉天軍閥とよばれた。1931年(昭和6)、関東軍が中心となって瀋陽北郊の柳条湖(現、大東区)で鉄道爆破事件を起こした(柳条湖事件)。事件を発端に満州事変が勃発し、翌1932年には日本の傀儡(かいらい)国家である「満州国」が成立している。「満州国」時代に日本が重工業をおこしたこともあって、瀋陽地方は中国有数の重工業地帯となった。
なお、ヨーロッパ人には、満州語に由来するムクデンMukdenの名で知られている。
[倉橋正直 2018年1月19日]
周辺に石炭、油母頁岩(ゆぼけつがん)、鉄、銅の産地をもち、近隣には鉄鋼の鞍山(あんざん)市、石炭の撫順(ぶじゅん)市を控える。これらを背景として、機械工業を中心に重工業が発達しており、戦闘機製造で有名な瀋陽飛機工業集団、自動車メーカーの華晨(かしん)汽車集団、大型機械メーカーの北方重工集団などの大手企業を擁する。このほか、冶金、化学、建築材料、紡績、製紙、食品加工なども盛んである。
交通では、京哈(けいは)線および哈大線(ハルビン―大連(だいれん))が通じるうえに、瀋吉線(瀋陽―吉林(きつりん))、瀋丹線(瀋陽―丹東(たんとう))、瀋大線の起点となり、自動車道も市を結節点として八方に広がる。市街の南東部には瀋陽桃仙国際空港があり、航空路が国内30以上の都市へ延びるほか、日本、韓国、北朝鮮などの国とも結ばれている。
[浅井辰郎・編集部 2018年1月19日]
市街地には、遼寧大学、東北大学、瀋陽医学院、遼寧省図書館、遼寧省歴史博物館、遼寧工業展覧館、遼寧体育館、遼寧芸術劇場などの高等教育機関、文化施設が置かれ、中山公園、南湖公園をはじめとして公園が各所に設けられている。また西部の鉄西区は工業地域で、多数の工場、労働者の高層住宅のほか、工人文化宮や労働公園がある。
史跡としては、清初の宮城であった瀋陽故宮があり、2004年「北京と瀋陽の明・清朝の皇宮群」の構成資産として世界遺産の文化遺産に追加登録された(世界文化遺産)。このほか、清の太祖ヌルハチの墓の東陵、清の太宗ホンタイジの墓の北陵、張作霖・張学良(ちょうがくりょう)父子の官邸であった張氏帥府などがある。
日本の領事館が設置されているが、2002年5月、その領事館に北朝鮮からの亡命希望者が逃げこむという事件が発生した。
[浅井辰郎・編集部 2018年1月19日]
中国東北部,遼寧省の省都。満州語ではムクデンMukdenといい,ヨーロッパではこの呼称を用いることが多い。同省中央部にあり,渾河北岸に位置する。面積8515km2(うち市部3495km2),市部人口530万(2000)。京哈(北京~ハルビン),哈大(ハルビン~大連),瀋丹(瀋陽~丹東),瀋吉(瀋陽~吉林)等の鉄道が放射する交通上の要衝で,大連との間に高速道路を建設中。東北地区における交通,経済,軍事,文化の中心。和平,瀋河,大東,皇姑,鉄西,蘇家屯,東陸,新城子,于洪の9区より成り,新民,遼中の2県を管轄する。
漢代の200年ころ候城県がおかれ,遼東郡の管轄下にあったが,高句麗がほぼ支配していた。しかし唐代の713年,瀋州の州治となり,中国の領有となったが,渤海が興起しその支配地域となった。契丹は瀋州を置き,元は1296年(元貞2)瀋陽と改名,ほぼ城郭が完成,瀋陽路治を置いた。管轄範囲は今の瀋陽市を中心に西は新民,南は遼陽,北は開原付近までであった。このころより軍事,政治,交通上の重鎮となった。明の洪武20年(1387)瀋陽中衛を置いたが,1621年(天命6)後金の領土となったため廃された。満州族の建てた後金は1625年遼陽より瀋陽に遷都し,1634年(天聡8)瀋陽を盛京と号した。1636年(崇徳1)国号を清と改め,順治年間(1644-61)都を京師順天府(今の北京)に定めた後は盛京を陪都とした。そしてここを承徳県と名づけ,奉天府の府治とした。清朝は山海関より外,内モンゴル・外モンゴル以東の,奉天府尹および奉天,吉林,黒竜江の三将軍の所轄地区をすべて盛京統部に属せしめた。1907年(光緒33)初めて東三省総督および奉天省等の巡撫をおいたが,それまでは東北地区とモンゴルの政治的,軍事的統轄の中心だったわけでその後も東三省の行政中心としての役割を果たした。清朝末期には日露両国が利権を争い,日露戦争により南満州鉄道を手に入れた日本は奉天に満鉄付属地を設けた。14年県名は瀋陽県と改められた。1920年代瀋陽は軍閥張作霖の拠点であった。31年本市柳条湖で日本の関東軍の謀略により南満州鉄道が破壊されると(柳条湖事件),それを口実に日本の満州侵略が開始され,瀋陽は日本帝国主義の満州支配やがては全中国支配の軍事的,経済的基地とされ,多くの軍需工場が建設された。34年市制が施行され,日本とその傀儡(かいらい)政権である満州国は奉天市と称していた。
第2次大戦後,第3次国内革命戦争の舞台となり,瀋陽は国民政府軍の拠点となっていたが,48年の遼瀋戦役で解放された。解放後は鉄鋼,アルミの冶金,鉱山機械,工作機械その他の重機械,輸送用機械など重工業を中心に,化学,紡織,窯業,食品,製紙など総合工業都市として急速に発展した。また市内には遼寧大学,瀋陽医学院や科学研究機関が多く設立されている。史跡としては清初の皇宮である瀋陽故宮,北陵(昭陵),東陵(福陵)など清朝に関係するもののほか,74年に発掘された新楽新石器時代遺跡,遼寧省博物館,抗米援朝烈士陵園などがある。
執筆者:河野 通博
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中国東北の旧満洲の中心都市。唐は瀋州,元は瀋陽路,明は瀋陽衛を設置。清初にヌルハチが国都とし,太宗(ホンタイジ)が盛京と改称。入関後陪都として盛京五部や奉天府を設置。民国時代以後は瀋陽とか奉天とか呼び,現在は瀋陽という。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…29市(14地級市,15県級市),20県,9自治県よりなる。省都は瀋陽市。 本省は東西両側に山地と丘陵が横たわり,中央部は南北に細長い平野で,南は狭長な遼東半島が黄海と渤海の間に突出し,山東半島と相対している。…
※「瀋陽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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