影向寺(読み)ようごうじ

日本歴史地名大系 「影向寺」の解説

影向寺
ようごうじ

[現在地名]宮前区野川

影向寺台ようごうじだいにあり、南西に神明社、西に第三京浜国道が通る。天台宗医徳山月光院と号し、「栄興寺」(万治三年梵鐘銘)、「養光寺」(風土記稿)とも記された。本尊薬師如来

縁起(県史八)によれば、天平一二年(七四〇)行基開創と伝える。寺域の発掘により、奈良時代と推定される建造物遺構・瓦塔片・塔跡版築などが確認され、出土瓦の様式から創建の時期は白鳳時代末期にまでさかのぼると考えられる。「長弁私案抄」(静嘉堂文庫本)によれば、応永一三年(一四〇六)伽藍再興の勧進が行われている。同二二年一〇月には十二神将像の一躯が修理彩色され、享禄四年(一五三一)六月本堂および十二神将像が修理されている(十二神将像胎内墨書銘)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「影向寺」の解説

影向(ようごう)寺

神奈川県川崎市中部にある寺院。天台宗。山号は医徳山、院号は月光院。縁起では天平年間、行基による開創と伝わる。本尊は薬師如来で、薬師堂は県の重要文化財指定

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の影向寺の言及

【川崎[市]】より

…市域では円墳も多く分布しているが,6世紀後半の仏教伝来により火葬の風習も広まり,50個余りの骨蔵器が出土している。7~8世紀に宮前区野川の影向(ようごう)寺が創建され,中央の文化が伝播してきたが,重要文化財に指定された薬師三尊は有名である。平安時代後期には武蔵平氏の一族河崎基家が開発領主であった河崎荘,また幸区には加瀬荘,中原区には丸子荘,中原区から高津区にかけては稲毛荘があった。…

※「影向寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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