改訂新版 世界大百科事典 「従軍看護婦」の意味・わかりやすい解説
従軍看護婦 (じゅうぐんかんごふ)
戦地で傷病兵の看護に当たり,軍の指揮系統に属する看護婦。日本では,日本赤十字社の前身である博愛社がすでに西南戦争に際して看護人(男性)を熊本や長崎に送っている。日清戦争が起きると日本赤十字社は自社で養成した看護婦を臨戦地の宇品,広島へ派遣した。戦争に女性も参加するということで世人の注目をひき,このとき作られた《婦人従軍歌》(1894,〈火筒(ほづつ)の響き遠ざかる……〉)はのちのちまで歌われた。日露戦争では活動の場は朝鮮,満州まで広がり,死亡者も出ている。日赤で養成された看護婦は2年間の病院勤務とその後20年間は国家有事の際に召集に応じることを定められていたため,幼い子どもをはじめ家族を残しての従軍という場合も多かった。日中戦争,太平洋戦争に陸・海軍大臣の命令により日赤が派遣した救護看護婦は延べ3万4045名,実数2万4724名にのぼり,死者も1000名を超えている。彼女らは戦火の犠牲になったほか,中国,東南アジアなどの戦線で任務につき飢えや病気により肉体を使い果たした。ほかに同時期に軍直属として前線に出た陸海軍看護婦もあった。従軍看護婦への国の保障は長く行われていなかったが,日赤看護婦へは1980年,陸海軍看護婦へは82年にはじめて慰労給付金が支給されている。
執筆者:井手 文子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報