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忍坂大中姫 おしさかのおおなかつひめ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

忍坂大中姫 おしさかのおおなかつひめ

記・紀にみえる允恭(いんぎょう)天皇の皇后。
応神天皇の孫。稚野毛二派(わかぬけふたまたの)皇子の王女。反正(はんぜい)天皇没後,雄朝津間稚子宿禰(おあさづまわくごのすくね)皇子(允恭天皇)が病身のため即位を辞退した際,群臣の意見をまとめ,熱心にすすめて皇位につかせたという。安康天皇,雄略天皇らを生んだ。「古事記」では忍坂之大中津比売命。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

忍坂大中姫

生年:生没年不詳
5世紀中ごろ,允恭天皇の皇后。応神天皇の子稚野毛二派皇子(若野毛二俣王)と弟日売真若比売(百師木伊呂弁)との皇女。忍坂之大中津比売,践坂大中比弥王ともいう。また「おさかのおおなかつひめ」とも。木梨軽皇子,安康,雄略天皇ら男女9人を生む。夫,雄朝津間稚子宿禰皇子(允恭天皇)が,群臣から大王に推挙されたにもかかわらず,自分はその任に堪えないといって即位を辞退した。そのとき大中姫は極寒のなかで,即位の儀式に使う鋺に入れた洗手水を捧げて懇願し,ついに夫に大王となることを決意させた。允恭は大中姫を皇后に立てるとともに,その御名代(皇族の私有民)として刑部を全国に設置させた。また,皇后は,少女時代に馬上から無礼をはたらき侮辱した 闘鶏国造 を死刑に処するつもりでいたが,無礼を謝ったため,卑しい姓である稲置に改め,闘鶏稲置とするにとどめた。『古事記』に応神天皇皇女としてみえる忍坂大中比売は同一人物で,混乱から生じた異伝であろう。

(明石一紀)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

おしさかのおおなかつひめ【忍坂大中姫】

允恭天皇の皇后。生没年不詳。忍坂は〈おさか〉ともいう。父は応神天皇の子稚野毛二派皇子。母は2説あるが近江国坂田に居した息長氏系の女であろう。同母兄妹に継体天皇直系の祖意富々等(おおおど)王や藤原宮に居し大中姫と天皇の寵愛を争った衣通(そとおり)姫が伝わる。安康,雄略,軽太子,軽大娘女を含む5男4女を生む。隅田八幡人物画像鏡にある〈意柴沙加宮〉に居し,名代(なしろ)の刑部(おさかべ)は代々伝領されたとの説がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

忍坂大中姫
おしさかのおおなかつひめ

「記紀」に伝承される允恭天皇(いんぎょうてんのう)の皇后。父は応神天皇の子、稚野毛二派(わかのけふたまた)皇子(『古事記』は若沼毛二俣王、『上宮記』は若野毛二俣王)。母は百師木伊呂弁(ももしきいろべ)、別名弟日売真若比売(おとひめまわかひめ)命。『古事記』は忍坂之大中津比売命にもつくる。安康天皇・雄略天皇など五男四女を生む。反正天皇没後、夫の雄朝津間稚子宿禰(おあさづまわくごのすくね)皇子(のちの允恭天皇)が群臣から推挙されたにもかかわらず、病身を理由に即位を固辞したため、妃の忍坂大中姫はみずから手洗水をとって、即位を懇願し、即位を決意させた。立后ののちは、闘鶏国造(つげのくにのみやつこ)を探して、昔の無礼を責め、姓を貶めて稲置(いなぎ)に改姓させた。また、皇后が雄略を出産する日に、允恭は皇后の妹衣通郎姫(そとおしのいらつめ)のもとに通っていたことが発覚した。そのため皇后は恨んで産殿に火をかけて死のうとしたので、允恭は皇后を慰撫したという。名代として刑部(おさかべ)を全国に定めたと伝える。なお、『古事記』には応神天皇と迦具漏比売(かぐろひめ)との子にも、忍坂大中比売がみえる。[仁藤敦史]
『平野邦雄著『大化前代政治過程の研究』(1985・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の忍坂大中姫の言及

【刑部】より

…古代に大和朝廷のおいた名代(なしろ)の一つ。《古事記》《日本書紀》によると,允恭天皇のとき,皇后忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ),つまり雄略天皇の母のために設けられたという。皇后の名は,大和忍坂宮という宮号に由来するもので,刑部(忍坂部)は,この宮の経営のための費用を貢進する部民をさしている。…

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