改訂新版 世界大百科事典 「隅田八幡人物画像鏡」の意味・わかりやすい解説
隅田八幡人物画像鏡 (すだはちまんじんぶつがぞうきょう)
和歌山県橋本市所在の隅田八幡神社蔵の銅鏡。径19.6cm。鏡背面の主要図像は中国製の神人画像鏡を模写したものだが,その外周に48文字からなる銘文があり,それに日本の地名や人名と解される文字が音読の漢字で記されていることで有名。銘文は〈癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟〉と読めるが,〈大〉を六,〈年〉を与,〈寿〉を奉,泰,彦,〈今〉を命,〈取〉を所とそれぞれ読解する説もある。大意は〈癸未年8月,男弟王が意柴沙加宮に在ったとき,斯麻が開中費直と今州利らに白上銅二百旱でこの鏡を作らせた〉。だが,〈斯麻念長寿〉を人名の斯麻念長彦と読んで神功紀の斯麻宿禰にあて,〈癸未年〉を383年とする説,〈男弟王〉を允恭皇后忍坂大中姫の異母弟大草香皇子と解して,443年とみる説,〈男弟王〉を男大迹すなわち継体天皇とする503年説,〈男弟王〉を押坂彦人大兄皇子とみて,623年にあてる説がならぶ。製作目的の記載を認めるものでは,〈念長寿〉から長寿祈念説,あるいは〈念長奉〉とみて〈長く奉(つか)えることを念じ〉とする説がある。製作に従事したのは開中費直と穢人今州利(または命州流),あるいは開中費直穢人(または漢人)と今州利と解されており,〈開中費直〉が河内直であることはほぼ一致する。また,多くは日本列島製とみるが,〈斯麻〉を百済王斯麻(武寧王)とする説と,斯麻念長彦と読んで神功紀の斯麻宿禰にあてる説では朝鮮半島における製作を考える。これらの金石学的解釈にくらべて,考古学からの検討はなお十分ではない。古く中国鏡の様式観との対照による癸未年383年説があったが,これが中国鏡でなく仿製(ぼうせい)鏡であることからすれば難点がある。そのほか,考古学からは,主要図像の模写の手本となった中国製の神人画像鏡を副葬する日本の古墳の推定年代から443年にあてる説がだされている。
執筆者:田中 琢
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報