志宜庄(読み)しぎのしよう

日本歴史地名大系 「志宜庄」の解説

志宜庄
しぎのしよう

寝屋川と大川の合流点一帯、大阪城の北東付近に位置したとみられる庄園。中世この地域を志宜森しぎのもり志宜杜しぎのもり志宜野しぎのなどと称し、鴫森しぎのもりとも書いた(文和元年一二月二〇日「土屋信宗軍忠状」土屋文書)

「鹿苑日録」明応八年(一四九九)三月八日条に、河内国を舞台とする畠山氏の戦いが拡大する情勢のもとで、「当院(領)志宜庄、与河州接、可求制札否」と、河内国に接する当庄に制札を立てるよう求めるかどうかを論じている記事があり、当庄が京都相国しようこく寺の子院鹿苑ろくおん院を本所とする庄園であったことがわかる。当地には、聖徳太子創建という寺伝をもち、応永年間(一三九四―一四二八)再興法安ほうあん(現南区に移転した法案寺)が存在し、鹿苑院に属していた。したがって鹿苑院の庄園支配は、現地の法安寺を通じて行うのが本来の形態であったと考えられる。ところが、戦国争乱のなかで武士勢力が台頭し、石山いしやま本願寺の勢力が強盛になるにつれて、当庄の支配のあり方にも大きな変化が生じた。「鹿苑日録」天文五年(一五三六)閏一〇月二六日条には、守護細川氏の被官額田氏が若党久保なる者を使者として「志宜庄年貢拾貫文始而納之」とみえ、この頃、庄園支配が守護被官による請負代官体制へ転換したことを物語っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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