精選版 日本国語大辞典 「応徳」の意味・読み・例文・類語 おうとく【応徳】 平安時代、白河、堀川両天皇の代の年号。甲子(かっし)革命のため永保四年(一〇八四)二月七日改元。応徳四年四月七日に寛治と改められた。出典は「白虎通‐封禅」の「天下太平、符瑞所二以来至一者、以為王者承レ統レ理、調二和陰陽一、陰陽和万物序、休気充塞、故符瑞並臻、皆応レ徳而至」による。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本の元号がわかる事典 「応徳」の解説 おうとく【応徳】 日本の元号(年号)。平安時代の1084年から1087年まで、白河(しらかわ)天皇、堀川(ほりかわ)天皇の代の元号。前元号は永保(えいほう)。次元号は寛治(かんじ)。1084年(永保4年)2月7日改元。964年の康保(こうほう)、1024年の万寿(まんじゅ)に続き、甲子革令(かっしかくれい)を理由に行われた。『白虎通(びゃっこつう)』を出典とする命名。1085年(応徳2)、興福寺僧徒が大和国十市郡で乱暴狼藉を行い、民家を焼く事件が起こった。永保年間以来、こうした僧兵による狼藉が続いていた。1083年(永保3)には、奥州清原氏の清原家衡・武衡と同族の藤原清衡の対立が深まり衝突。この衝突が後三年の役に発展した。1086年(応徳3)、白河天皇が8歳の皇子に譲位(堀河天皇)。退位した白河は太上天皇(上皇)として、幼帝の後見を名目に院政を開始した。 出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報