応永(読み)オウエイ

デジタル大辞泉 「応永」の意味・読み・例文・類語

おうえい【応永】

室町中期、後小松天皇称光天皇の時の年号。1394年7月5日~1428年4月27日。

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精選版 日本国語大辞典 「応永」の意味・読み・例文・類語

おうえい【応永】

  1. 室町時代、後小松・称光両天皇の代の年号。疱瘡(ほうそう)流行干害などにより、明徳五年(一三九四)七月五日改元。応永三五年(一四二八)四月二七日に次の正長に代わる。四代将軍足利義持、五代将軍義量(よしかず)時代出典は「会要」の「久応称之、永有天下」。

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日本の元号がわかる事典 「応永」の解説

おうえい【応永】

日本の元号(年号)。室町時代の1394年から1428年まで、後小松(ごこまつ)天皇、称光(しょうこう)天皇の代の元号。前元号は明徳(めいとく)。次元号は正長(しょうちょう)。1394年(明徳5)7月5日改元。病流行の凶事を断ち切るために行われた(災異改元)。『会要(かいよう)』を出典とする命名。応永年間の室町幕府の将軍は足利義満(よしみつ)(3代)、足利義持(よしもち)(4代)、足利義量(よしかず)(5代)。1397年(応永4)には、義満の邸宅である北山殿(北山山荘)の上棟式が行われた(現在の鹿苑寺(ろくおんじ)、通称金閣寺)。将軍職を義持に譲ったものの、幕府実権は義満にあり、義満はここで政務を執った。1399年(応永6)には大内義弘(よしひろ)が堺で挙兵して応永の乱が起こったが、1403年から1415年までは、まったく戦乱のない時期が続いた。1412年(応永19)、後小松天皇は称光天皇に譲位し、院政を行った。1419年(応永26)には李氏朝鮮が対馬に侵攻した(応永の外冦(がいこう))。

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