デジタル大辞泉
「恩讐の彼方に」の意味・読み・例文・類語
おんしゅうのかなたに〔オンシウのかなたに〕【恩讐の彼方に】
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出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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恩讐の彼方に (おんしゅうのかなたに)
菊池寛の短編小説。1919年《中央公論》に発表。江戸中期の禅僧真如庵禅海による豊前国耶馬渓の青ノ洞門開削の史実に取材し仇討の念をも人間愛に結びつけた作者の代表作。作者自身の脚色による劇化は《敵討以上》と題し,1920年帝国劇場で13世守田勘弥によって初演以来,2世市川猿之助,沢田正二郎らがしばしば上演している。講談や浪花節にも取りあげられ,とくにかずかずの文芸浪曲を手がけた酒井雲による口演が好評を博した。
執筆者:矢野 誠一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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「恩讐の彼方に」の意味・わかりやすい解説
恩讐の彼方に【おんしゅうのかなたに】
菊池寛の短編小説。1919年《中央公論》に発表。僧了海と,彼を敵(かたき)とねらう実之助とが協力して洞門を開削したという筋で,耶馬渓(やばけい)青ノ洞門の由来記に取材,敵討の非人間性を批判し,人間の情の高さを描いたもの。簡潔明快な作品で,テーマ小説と呼ばれた。のち作者により《敵討以上》として劇化された。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内の恩讐の彼方にの言及
【青ノ洞門】より
…大分県北部,下毛郡本耶馬渓町大字曾木字青にある[耶馬渓]の名勝の一つで,競秀峰崖下にある洞穴道。18世紀中ごろ僧禅海が〈鎧渡し〉と呼ばれていた難所に独力でつくったもので,このことは菊池寛の小説《恩讐(おんしゆう)の彼方に》(1919)によって広く知られた。《豊前志》によると1735年(享保20)開削を始め,16年の歳月を要して50年(寛延3)に開通したという。…
※「恩讐の彼方に」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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