また文化一〇年(一八一三)九月、「日本九峰修行日記」で野田泉光院は、「川あり繰りぬきの穴道廿間計り、又十間計り二ケ所にあり。此れ回国修行者建立せし道也。先年洪水の時此川を渡り多く流死の者有り、因て斯の新道を拵らへたりと云ふ。文化年中より凡そ八九十年前なり」と記している。「下毛郡誌」によると、僧禅海は越後高田藩士福原勘太夫の一子で、俗名市九郎。延宝二年(一六七四)に生れ、壮年の頃江戸に出、やがて六十六部の姿に身をやつし、諸国霊場巡拝の途につき、羅漢寺参拝の途上、享保六年(一七二一)大願を発して単独工事に着手した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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