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浪花節 なにわぶし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

浪花節
なにわぶし

浪曲ともいう。江戸時代中期以前に説経節祭文の影響を受け,関西地方に始った語り物で,三味線を伴奏とし,歌う部分と語りの部分に分れ1人で演じる。詞章は講談,物語,史実などから取材する。ちょぼくれ,ちょんがれ,うかれ節などといったが,江戸でこれらを総合して浪花節と呼んだ。享保年間 (1716~36) に浪花伊助がこれを広め,幕末に粂吉,岩助が大成した。当初は門付 (かどづけ) を主とした大道芸であったが,1875年頃から寄席演芸の一つとして定着。明治末期に桃中軒雲右衛門,吉田奈良丸,京山小円らが出て,それぞれ特色ある流派を開いた。大正には鼈甲斎虎丸,東家楽遊,東家楽燕,木村重友らが活躍し,昭和では木村友衛,寿々木米若,春日井梅鶯,広沢虎造玉川勝太郎,三門博らが著名。第2次世界大戦後は不振。

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百科事典マイペディアの解説

浪花節【なにわぶし】

浪曲(ろうきょく)

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世界大百科事典 第2版の解説

なにわぶし【浪花節】

浪曲(ろうきよく)ともいう。江戸後期にほぼ形成され,明治時代に大発展した語り物。三味線の伴奏に合わせて独演し,義理人情を主題としたものが多い。関西では,明治40年代まで〈うかれ節〉と称した。起源の時期はあきらかでないが,《嬉遊笑覧(きゆうしようらん)》にも,〈ちょぼくれと云ふもの,已前(いぜん)の曲節とはかはりて,文句を歌ふことは少なく詞のみ多し。芝居咄をするが如し。これを難波(なにわ)ぶしと称するは彼地より初めたるにや〉とあり,江戸中期以前に関西地方に始まったと見られる。

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大辞林 第三版の解説

なにわぶし【浪花節】

語り物の一。江戸末期、大坂で説経節・祭文さいもんから出たもの。三下りの三味線を伴奏に、節と啖呵たんかの部分よりなる。講釈・人情噺・歌舞伎小説などから取材し、明治以後隆盛をみた。古くは、ちょんがれ節・ちょぼくれ・うかれ節などとも呼ばれた。浪曲。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

浪花節
なにわぶし

浪曲(ろうきょく)ともいう。曲師の弾く三味線を伴奏として節(ふし)をつけてうたう部分と、「啖呵(たんか)」とよばれる語りや対話の部分を、1人で口演する唄(うた)入りの物語り芸。江戸末期に関西方面で大道芸として体(たい)をなし始め、明治期に寄席(よせ)芸となって大いに発展・普及し、講談、落語と並ぶ大衆演芸として庶民に広く愛好された。[秩父久方]

前史

ほかの日本の音曲と同様、遠祖をたどれば、仏教とともに渡来した梵唄(ぼんばい)から派生した声明(しょうみょう)、和讃(わさん)に源を発し、これに神道(しんとう)系の山伏祭文(さいもん)から芸能化した歌祭文の要素が加わり、さらに説経節などが基調となって弔歌連(ちょんがれ)(地域によって、ちょんがり、ちょぼくれともいう)という芸能が生まれた。この弔歌連やでろれん祭文を統合して、節の合間に語りの部分を導入し、人気を博したのが、化政(かせい)期(1804~30)の浪花伊助(なにわいすけ)という芸人と伝えられる。さらにこの改良弔歌連に義太夫(ぎだゆう)や琵琶(びわ)の長所を取り入れ、三味線を伴奏とした新しい芸能を創案したのが京山恭安斎(きょうやまきょうあんさい)(?―1889)である。これは関西方面で大いに歓迎され、浮連節(うかれぶし)として幕末期に盛んに興行された。
 一方、明治維新前後には江戸(東京)を中心とした各地の庶民芸も革新の兆しをみせていた。従来から庶民芸能の母集団であった説教僧集団は、節談(ふしだん)説教や仏教画の絵解(えと)き噺(ばなし)を娯楽的に語り、各地の寺院を回って生計をたてていたが、維新の廃仏棄釈運動によってその存続を根底から揺さぶられ、新しい芸能が求められていたのである。[秩父久方]

歴史

浪花節の呼称の始まりについては諸説あるが、1830年(文政13)の『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』に「ちょぼくれというもの已前(いぜん)の曲節とはかはりて文句を歌ふことは少く詞(ことば)のみ多し、芝居咄(ばな)しをするが如(ごと)し、これを難波(なには)ぶしと称するは彼地より始めたるにや」とある。これは、関西で浮連節が誕生しかかったころ、江戸へ流れていったと伝えられる浪花伊助とその率いる芸人たちの消息を示す記述かもしれない。しかし、ここにいう難波ぶしがその後の浪花節と直接つながると証明する資料はない。1872年(明治5)新政府教務省の指示により、他の芸能と同様に組合を結成し芸の由来書を提出したとき、「浪花節」という呼称が初めて公にされたといえるだろう。この「東京浪花節組合」(頭取(とうどり)春日井(かすがい)松之助)の発足によって、芸人鑑札を受ける都合上からも浪花節に名のりを変える祭文語りが続々と現れた。また、「お座敷浪花節」の看板を掲げて大道芸からの脱却を図っていた浪花亭駒吉(なにわていこまきち)らの努力が実ってか、1875年東京・麻布(あざぶ)の福井亭での寄席公演が実現した。一方、関西では2代広沢虎吉(とらきち)(後の井上晴夢(せいむ))が代表となり、浮連節の芸人鑑札を受け取っているが、まだ東西の交流は行われていなかった。しかし、明治期なかばまでは浪花節を称した芸人の多くが、弔歌連、祭文と同様ヒラキとよばれる掛け小屋で興行することも多く、大道芸人として軽んじられていた。
 明治20年前後の東京での寄席興行記録には、浪花亭駒吉一門の名前しか見当たらないが、その数年後から事情は変わってくる。岡本綺堂(きどう)の『思ひ出草』に「日清(にっしん)戦争以後からは、浪花節が流行して来た。その以前の浪花節は専(もっぱ)ら場末の寄席に逼塞(ひっそく)して……(中略)……次第に勢力を増して来て、市内で相当の地位を占めている席亭もお座敷浄瑠璃(じょうるり)、浪花節のビラを懸けるようになった」とある。関西では1889年、大阪・天満(てんま)に浮連節専門の寄席ができ、井上晴夢らの努力で、しだいに数を増していった。明治30年代に入ると、東京には浪花亭一門以外にも、上州祭文を母体として発展してきた東家楽遊(あずまやらくゆう)の一派、横浜を中心に人気を得てきた青木勝之助の一派などが台頭してくる。
 1907年(明治40)6月、桃中軒雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)が東京の本郷座で27日間興行し、大入り続きの成功を収めたことは、その後の浪花節の興行形態やレパートリーに大きな影響を与えた。すなわち、金屏風(びょうぶ)を巡らせた舞台中央に美麗なテーブル掛けで覆った立ち机を置き、そこへ羽織袴(はかま)姿の演者が登場し、並んで演奏していた三味線奏者を金屏風の陰に隠してしまったのである。これは当時の壮士の演説会のようすを模倣し、芸能的にショーアップしたものであろう。また演題も庶民的な題材から一転して、「武士道鼓吹」と称し、『義士伝』を中心に据えて口演した。この成功に刺激されて、翌08年には関西の京山若丸が同じ本郷座で、09年2代吉田奈良丸(ならまる)も東上し有楽座で公演、さらに華族会館で上流階層を相手に口演して話題をまいた。明治末期には前述の雲右衛門、2代奈良丸に関西の京山小円(こえん)を加え、三巨頭と並び称され、浪花亭一門から独立した一心亭辰雄(いっしんていたつお)(後の服部伸(はっとりしん))、早川辰燕(たつえん)がこれらに続いた。
 1910年、2代東家楽遊の『小松嵐(こまつあらし)』が大ヒットして、レコードの売上げ枚数でトップを続け、2代奈良丸も『義士伝』をレコードに吹き込み、驚異的な売れ行きを示した。レコードの全国的な普及によって、浪花節の地方巡業がいっそう華々しいものとなり、「当節流行するもの、浪花節とエスペラント語」などとはやされるほどであった。ほかに、明治末年から大正にかけて、伊勢(いせ)祭文から浪花節に転向した鼈甲斎(べっこうさい)虎丸が3代目に至って『安中草三(あんなかそうざ)』で成功を収め、京山若丸も『召集令』や「乃木(のぎ)将軍もの」の新作で注目を集めた。
 これまでの大発展を第一黄金期とするなら、第二黄金期は大正中期から後期で、浪花亭一門から独立した木村重友(しげとも)、初代楽遊の実子東家楽燕(らくえん)、前述の鼈甲斎虎丸の3人に加え、九州から上京した天中軒雲月(てんちゅうけんうんげつ)らが安定した興行成績を収め、四天王と称された。また、寄席芸の名人木村重松(しげまつ)が『慶安(けいあん)太平記』で、関西から独流で出てきた篠田実(しのだみのる)が『紺屋高尾(こんやたかお)』で活躍した。
 さらに、昭和の初期にはマイクロホンを使用したレコード吹き込みが行われるようになり、レコード向きの声をもった浪曲師が俄然(がぜん)台頭してきた。『森の石松』の広沢虎造、七色の声とうたわれた伊丹秀子(いたみひでこ)、『壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)』の浪花亭綾太郎(あやたろう)、『佐渡情話』の寿々木米若(すずきよねわか)、『天保六花撰(てんぽうろっかせん)』の木村友衛(ともえ)、『天保水滸伝(てんぽうすいこでん)』の玉川勝太郎、『紀伊国屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)』の梅中軒鶯堂(ばいちゅうけんおうどう)、『義士伝』の3代吉田奈良丸らである。その後、映画とのタイアップ・レコード『赤城(あかぎ)の子守唄』で世に出た春日井梅鶯(ばいおう)のような例も生まれ、レコードの発売枚数が浪曲師の評価基準になった観さえある。昭和10年代には、以前から文芸浪曲を標榜(ひょうぼう)していた酒井雲(くも)、『唄入り観音(かんのん)経』の三門博(みかどひろし)、『灰神楽(はいかぐら)三太郎』の相模(さがみ)太郎、『野狐(のぎつね)三次』の東家浦太郎のほか、女流の初代春野百合子(ゆりこ)、京山華千代(はなちよ)、富士月子らが全国的に知られ、映画スターに劣らぬ人気者となった。
 第二次世界大戦中には軍事浪曲など戦意高揚的なものが横行したが、敗戦と同時に『義士伝』や「博徒もの」まで口演を禁じられ、いわゆる「母もの」浪曲で命脈をつないだ時期があった。やがて、民間放送が次々とスタートし、ラジオの演芸番組が主流となって新しいスターを生んでいった。4代天中軒雲月、初代鹿島秋月(かしましゅうげつ)、天津羽衣(あまつはごろも)、二葉(ふたば)百合子、浪花家辰造、五月一朗(さつきいちろう)、京山幸枝若(こうしわか)などが出現し、加えて木村若衛(わかえ)、国友忠らは新しい試みによって古いイメージから脱却しようと図った。
 昭和30年代に入ると、蔑称(べっしょう)としても使われる浪花節の古いイメージを嫌い、日本浪曲協会はNHKに浪花節という呼称をやめるように要望、NHKは浪曲という名称で放送するようになった。レコードのレーベルも浪曲に統一されたが、名称が変わっても内容が大きく変わったわけではなく、昭和40年代にかけて若年層のファンを歌謡曲や映画に奪われていった。[秩父久方]

現況と課題

さらに、加速度的に全国の家庭に普及したテレビは、大衆娯楽の様相を一変させた。テレビの演芸番組の主流は漫才やコントへと移っていき、浪曲の出番はラジオ時代に比べるとほとんどないに等しくなってしまった。この間に、歌謡曲に転向した三波(みなみ)春夫や村田英雄(ひでお)が比較的広い年代層に受け入れられていたにすぎない。昭和50年代以降は、1年に春秋2回の大会以外は、大半の浪曲師たちがヘルスセンターの演芸場や老人福祉施設の慰問などで日を過ごしている。浪曲の常打ちの寄席は、東京・浅草の木馬亭ただ1軒となってしまった。
 最盛期の浪花節には、時代に即応した題材や曲節があった。当時の社会世相を活写し聴衆にナウな迫力をもって迫り、若者たちが鼻歌交じりにうたえる親近性と魅力とをもっていた。これらは、生(なま)ギター伴奏で若年層に迎えられたフォーク・ソング、そしてロックからニューミュージックへと、コンサート中心の今日の一連の若者音楽文化の推移と相似し、またレコードの売れ行きにも、時代相を超えた共通性をみいだすことができる。しかし、内容を時代に即応したものに変ええなかったことが、今日の浪花節の衰退を招いたといえよう。落語、講談、浪花節と並び称された3演芸のうち、現代に即応しえた落語の場合、芸の変容はもとより、若手のアイドル性も育ててきた。浪花節においても現代にふさわし芸の内容および若手の芸人を育てることが、差し迫って必要なことであろうと思われる。[秩父久方]
『正岡容著、中川明徳編『日本浪曲史』(1968・南北社) ▽安斎竹夫編『浪曲事典』(1975・日本情報センター) ▽芝清之著『浪曲人物史――その系譜と墓誌録』(1977・上方芸能編集部) ▽南博・永井啓夫・小沢昭一編『芸双書 6 うなる――浪花節の世界』(1981・白水社)』

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世界大百科事典内の浪花節の言及

【ちょぼくれ】より

…歌詞のなかに〈ちょぼりれちょんがれ〉〈ちょぼくれちょんがれ〉といった語があるところから,上方では〈ちょんがれ〉,江戸では〈ちょぼくれ〉と称したのであろう。浪花節の前身となったというが,その節の調子が邦楽にとり入れられ,舞踊がついて文化・文政時代に流行した。《女盗賊》《尾張源内》などの古い語りや《お染久松》《小春紙治の紙尽し》など新しい演題を語ったりしたが,卑俗な八八調または七五調の文句が多く,なかば踊りながらうたった。…

【日本音楽】より

…箏曲界に次いで洋楽の影響を多く受けたのは長唄である。なお,この期の邦楽界に新しく加わったものとしては,薩摩琵琶,筑前琵琶,都山流(とざんりゆう)尺八,浪花節(なにわぶし)などがあげられる。薩摩琵琶は仏教寺院の法要琵琶であった盲僧琵琶をもとに室町末期から武家の教養音楽として薩摩藩に発達したものであるが,明治維新による薩摩出身者の東京進出により,郷土芸能であった薩摩琵琶も東京に紹介され,全国的な芸能になった。…

※「浪花節」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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