日本歴史地名大系 「恭仁京跡」の解説
恭仁京跡
くにきようあと
平城京東北方にあたる前而発、経
略山背国相楽郡恭仁郷
、以
擬
遷都
故也」とあり、続けて一五日条に「皇帝在
前幸
恭仁宮
、始作
京都
矣、太上天皇皇后在
後而至」と記される。橘諸兄に命じて経営させ、あわただしく遷都したわけであるが、天平一六年二月には再び難波宮(現大阪市)を皇都とする旨が発せられているから、恭仁京は四年ほどの短命の都であった。
「続日本紀」によって恭仁京造営の様子をみると、天平一三年閏三月九日に平城宮の兵器を甕原宮に移し、七月一〇日に新宮に太上天皇が移御。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報