飛鳥浄御原宮と藤原宮にみる殿舎名。両宮にみえる大安殿は宴,賜物などの場として使用され,親王,侍従らを召しているところからみると内裏内の中心的建物と考えられる。また《続日本紀》大宝1年(701)正月条には大極殿(だいごくでん)とならんで記述されているので,大極殿とは別の建物である。また藤原宮では東安殿,飛鳥浄御原宮では内安殿,外安殿などの呼称がみえ,いずれも内裏内部の殿舎名と思われる。大安殿は名称からして,これら安殿中のもっとも重要な建物ということになる。平安宮の殿舎名でいえば仁寿殿(じじゆうでん)などがもっとも相当するものとして考えられる。また《日本書紀》の古訓では大極殿を〈おおあむでん〉とあるので,大極殿と大安殿とを同一殿舎とする見解もあるが,通説ではない。大極殿を大安殿と混同した平安時代の学説によって生じた訓であろう。ただ,歴史的にも大安殿から大極殿が分離したとする所説もある。
執筆者:鬼頭 清明
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飛鳥(あすか)・奈良時代の宮城(大内裏(だいだいり))にあった重要な殿舎。「おおあんどの」とも読む。しかし具体的な殿舎の姿はあまりよくわからず、685年(天武14)飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)で初めて記録に現れ、文武(もんむ)天皇の藤原宮、聖武(しょうむ)天皇の難波宮(なにわのみや)、恭仁宮(くにのみや)、紫香楽宮(しがらきのみや)、および平城宮にみえ、孝謙(こうけん)天皇の754年(天平勝宝6)を最後に、それ以後は記事がみえなくなる。天皇が出御(しゅつぎょ)して正月の踏歌の宴、斎会(さいえ)、朝賀などの儀式が行われた。本居宣長(もとおりのりなが)らは、大極殿の和風の名称であろうとの説をたてたが、その後史料の検討の結果、大極殿とは別の殿舎であることが判明した。行われた行事の重要さからみて、内裏の正殿(平安宮の紫宸殿(ししんでん)にあたる)とする説もあったが、現在では、大極殿院の一郭にあり、大極殿に匹敵する公的な儀式の場となりうる殿舎ではないかと考えられている。
[吉田早苗]
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