改訂新版 世界大百科事典 「意見十二箇条」の意味・わかりやすい解説
意見十二箇条 (いけんじゅうにかじょう)
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意見封事(ふうじ)十二箇条とも。914年(延喜14)4月,参議三善清行(みよしのきよゆき)が醍醐天皇の諮問に答えて提出した政治意見書。序論と12カ条の建議からなる。当時直面していた政治的・社会的矛盾を的確に指摘しつつ,その打開策をものべたもので,意見封事のなかでも最も優れたものとされる。とくに律令政治の衰退のありさまを,備中国下道郡邇磨(にま)郷の課丁(かてい)の減少を例にとって論じた序論は有名である。「日本思想大系」所収。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…たとえば,759年(天平宝字3)には,中納言,参議,少僧都,播磨大掾らの封進した律令制刷新策が採用頒行されており,また823年,公卿に限って徴された意見は,翌年(天長1)良吏賢才登庸策六箇条が採択施行されている。さらに,914年(延喜14)三善清行の奉った《意見十二箇条》と957年(天徳1)菅原文時の奉った《封事三箇条》(《本朝文粋》等所収)は,延喜・天暦時代の名文としても著名。ただし前者には具体的な問題点と対応策が明示されているのに対して,後者は抽象的,懐古的な叙述に終わっている。…
…したがって,正丁数に換算された課丁数を確保することが,律令国家の財政の基本となり,課丁数の増減は国司や郡司の勤務評定の重要なデータとされた。三善清行の有名な《意見十二箇条》でも,660年(斉明6)には2万の軍士を徴発したという地名説話をもつ備中国下道郡邇磨(にま)郷の課丁数が,天平神護年中(765ころ)には1900余人に,貞観の初め(860ころ)には70余人に,893年(寛平5)には老丁2人・正丁4人・中男3人に減じ,911年(延喜11)にはついに0となっていることを例にあげて,国家財政の危機をうったえている。蠲免(けんめん)【吉田 孝】。…
※「意見十二箇条」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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