戸野村(読み)とのむら

日本歴史地名大系 「戸野村」の解説

戸野村
とのむら

[現在地名]河内町戸野、福富ふくとみ上戸野かみどの

安芸国豊田郡の西北部に位置し、村の中央部を蛇行して流れる戸野川(沼田川)流域の平坦地に農耕地が広がる。東部の助兼すけかね古墳群からは須恵器も出土し、早くから開けたことが知られ、「和名抄」所載の豊田郡登能との郷に比定される。

貞和三年(一三四七)五月日付の園城寺堂社造営料所支配注進状(園城寺文書)に、園城おんじよう寺新羅社造営料所として戸野郷がみえ、文和元年(一三五二)一〇月六日の足利義詮寄進状(同文書)により園城寺へ寄進されている。一方、東寺百合文書によると、戸野郷・郡戸こうど郷の国務分が京都東寺に与えられたが、東寺雑掌が安芸国衙職について執行困難を訴えたので、至徳二年(一三八五)から嘉慶元年(一三八七)にかけて将軍家御教書が発給され、両郷を押領している小田小早川左近将監・兵庫助を排除するよう、松田備前守・宮下野守・小早川春平らに命令の施行を促している。応永二〇年(一四一三)六月一七日の小早川則平自筆譲状(小早川家文書)には、戸野・郡戸の地それぞれ半分を長男持平に譲るとあり、翌年四月一一日の小早川常嘉(則平)譲状案写(同文書)に持平所領として、戸野郷半分地頭・国衙公文職などがみえるが、不孝により譲与は破棄された(同文書)

戸野村
とのむら

[現在地名]清里村東戸野ひがしとの

南を櫛池くしいけ川が西北へ流れ、西は寺脇てらわき村に接する。正保国絵図に村名がみえる。延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳では高一八六石七斗余。天和三年郷帳には高一六八石七斗余、うち山高四石四斗一升五合。明和七年(一七七〇)と思われる山里蝋実穂納訳帳(国立史料館蔵)では、当村から山蝋実二斗二升五合・里蝋穂五貫七〇〇匁を納める。現清里村に属する村々の年貢米高野たかの(現板倉町)南京田みなみきようでん(現上越市)の郷蔵へ納めていたが、宝暦一〇年(一七六〇)鈴倉すずくら村ほか六ヵ村が当村に郷蔵を新設するよう請願した(清里村史)

戸野村
とのむら

[現在地名]上越市西戸野にしとの

鍛冶免分かじめんぶんの南、有間ありま川右岸に位置。正保国絵図によると高七二石余。天和三年郷帳では四五石九斗余。高の減少は村内の梶免かじめん(鍛冶免分)が別に高付されているため。

戸野村
とのむら

[現在地名]福富上戸野かみどの河内こうち町戸野

戸野村(河内町)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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