抜隊得勝(読み)ばっすい とくしょう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「抜隊得勝」の解説

抜隊得勝 ばっすい-とくしょう

1327-1387 南北朝時代の僧。
嘉暦(かりゃく)2年10月6日生まれ。臨済(りんざい)宗。出雲(いずも)(島根県)雲樹寺孤峰覚明(かくみょう)の法をつぐ。康暦(こうりゃく)2=天授6年(1380)甲斐(かい)(山梨県)塩山の領主武田信成(のぶしげ)の保護をうけ向岳寺をひらいた。至徳4=元中4年2月20日死去。61歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身諡号(しごう)は慧光(えこう)大円禅師。著作に「抜隊和尚語録」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「抜隊得勝」の意味・わかりやすい解説

抜隊得勝
ばっすいとくしょう

[生]嘉暦2(1327).相模,中村
[没]至徳4(1387).2.20. 甲斐,塩山
南北朝時代の臨済宗の僧。俗姓は藤原氏。勅諡は慧光大円禅師。 29歳で落髪,32歳で出雲の孤峰覚明に参じ,以後各地を歴遊し,天授6 (1380) 年より塩山の向岳庵に住んだ。主著『塩山和泥合水集』 (3巻) ,語録に『抜隊和尚語録』 (6巻) がある。

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367日誕生日大事典 「抜隊得勝」の解説

抜隊得勝 (ばっすいとくしょう)

生年月日:1327年10月6日
南北朝時代の臨済宗法燈派の僧
1387年没

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世界大百科事典(旧版)内の抜隊得勝の言及

【向嶽寺】より

…臨済宗向嶽寺派の本山である。開山は法灯(ほつとう)派の抜隊(ばつすい)得勝(1327‐87)で,1380年(天授6∥康暦2)武田信成が創建した向嶽庵に始まり,85年(元中2∥至徳2)後亀山天皇の勅願所となる。1547年(天文16)後奈良天皇の勅願寺となり,庵号を向嶽寺と改称し,武田信玄も保護に尽力した。…

※「抜隊得勝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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