日本歴史地名大系 「押口村」の解説 押口村おさえぐちむら 鳥取県:西伯郡岸本町押口村[現在地名]岸本町押口吉長(よしなが)村の東に位置し、東部を野本(のもと)川と尾高(おだか)井手が流れる。南は岸本村。もと吉長村の枝村で、元禄郷帳や天保郷帳では同村に含まれて高付されたとみえ、村名はみえない。享和三年(一八〇三)吉長村の新田として届出され、明治二年(一八六九)領内限りで同村より分村した(藩史)。もっとも「伯耆志」や因伯郷村帳(藩史)ではすでに一村として扱われている。地名は、当地が岸本村の岸本要害の押えの地にあたることによるという(伯耆志)。 押口村おさえぐちむら 山形県:東田川郡羽黒町押口村[現在地名]羽黒町細谷(ほそや)細谷村の北西、赤(あか)川右岸に位置する。押江口とも記した。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高六七石余。寛永三年庄内高辻帳では高一三八石余。弍郡詳記では高一二五石余、免二ツ八分、家数一四。万治二年(一六五九)「おさい口谷地」の新田開発が禁じられている(大泉紀年)。江戸街道が東西に走り、地内で同街道より南へ羽黒街道が分岐。江戸街道の赤川渡河地点にあたり、対岸西方の下大宝寺(しもだいほうじ)村(現鶴岡市)とを赤川渡が結んだ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by