押方村(読み)おしかたむら

日本歴史地名大系 「押方村」の解説

押方村
おしかたむら

[現在地名]高千穂町押方

三田井みたい村の西、五ヶ瀬川対岸に位置する。西は桑野内くわのうち村・さんしよ(現五ヶ瀬町)。高千穂一八ヵ郷の一。中世高知尾たかちお庄のうち。南北朝期に当地芝原しばはら豪族芝原性虎が南朝方として活躍しており、興国二年(一三四一)四月二三日に三田井郷地頭職が宛行われている(「後村上天皇綸旨写」阿蘇文書)。性虎はのちに桑野内へ館を移したと伝えられる。当地の本姓大蔵姓押方氏の名字の地で、押方氏は室町時代は大神姓、さらに藤原姓を称する。高知尾庄の地頭高知尾氏は豊後大神氏同族であり、南北朝期以降は三田井氏を称する。三田井氏は室町時代に三田井を中心に勢力を張り、押方氏も三田井一族として大神姓を使い、肥後から入った菊池一族といわれる甲斐氏の勢力が強まると藤原姓を称した(永正一四年七月吉日「押方氏三姓書上」押方文書)。長禄二年(一四五八)一一月二九日の大神惟久宛行状(同文書)では押方松太郎に当地の徳別当とくべつとうが宛行われた。徳別当の字名は現存する。一五世紀末に作成されたと推定されるとくへつたうのとつしよの日記(同文書)には、徳別当の年貢・なし物・弓の銭・師走のさかな分などの所役が記載されている。享徳三年(一四五四)一〇月二一日のひらの村取帳(同文書)では「ひらのとん所」の年貢五〇〇文・済物二貫五〇〇文・方違用途一〇〇文、ほかに現物納の綿一六把などがみえ、山の産物としてひるのね・ぬかこ・いも・きねしやうけ・むしろが記されている。山間村落での銭貨の流通と生産物の内容がわかる。ひらの字名は現存する。

寛正四年(一四六三)三月二五日の大神是久宛行状(押方文書)によると、おおか・ののひら・もみいさきの年貢各二五〇と酒手八升を深安徳に与えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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