摂政時代(読み)せっしょうじだい[イギリス](その他表記)Regency

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「摂政時代」の意味・わかりやすい解説

摂政時代[イギリス]
せっしょうじだい[イギリス]
Regency

国王ジョージ3世摂政がおかれた 1811~20年の時代。摂政は議会制定法によるもので,ジョージ3世が精神異常の兆候をみせた 1788年頃にも摂政法が準備された。皇太子 (のちのジョージ4世 ) は摂政の権限制約に不満をもち,ホイッグ党と結んでトーリー政府を攻撃していたが,1810年 11月ジョージ3世は不治の精神錯乱状態に陥り,11年2月の摂政政治法によって,暫定的に設けられた制限のもとで摂政に就任した。以後その死 (1820) まで摂政時代が続いた。この時期はナポレオン戦争ウィーン会議とその直後にあたり,イギリスでは経済恐慌や労働問題など難問が山積した危機的な時代であったが,皇太子摂政は私生活上の乱れもあって議会や国民との信頼関係を欠き,みるべき改革は行われなかった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「摂政時代」の意味・わかりやすい解説

摂政時代
せっしょうじだい
Régence フランス語

一般には、摂政régent(フランス語)が治めている時期をさすが、とくにフランス史上、18世紀初期、ルイ15世幼少期(1715~23)のオルレアン公フィリップの摂政統治時代をさす。先代ルイ14世時代の反動とスペイン継承戦争後の解放感のなかで、サン・シモンなど不満をもつ旧貴族や高等法院官僚が復権し、七つの国務会議(外務陸軍海軍財政宗教内務商務)を執行機関とする多元会議制(ポリシノディpolysynodie)を運営した。その結果は、緩慢な政局運営が続き、有効な政策を欠き政府の無能が証明されて、この貴族中心の政治体制は失敗した。また、1720年、財政総監ジョン・ローの行った財政改革も理論どおりには進まず、経済の大混乱を生じた。

[千葉治男]

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