改訂新版 世界大百科事典 「ジョージ3世」の意味・わかりやすい解説
ジョージ[3世]
George Ⅲ
生没年:1738-1820
イギリス王。在位1760-1820年。ハノーバー朝第3代の王。1751年に父フレデリックが没したため,祖父ジョージ2世の後を継いで即位。その60年間の治世にイギリスは全世界に先がけて産業革命を展開させたが,他方では北アメリカの13植民地を独立革命によって失い,またフランス革命の勃発によって大きな衝撃をこうむるとともに,多年にわたる対仏戦争にも巻き込まれた。このアメリカ革命,フランス革命ならびに産業革命の激動を経過する間に,イギリスは最先進資本主義国としての地位を確立したのであるから,ジョージ3世の治世はイギリス近代史上の偉大な60年間であったということができよう。
だが,ジョージ3世自身は偉大な君主ではなかった。知力・識見に恵まれなかった王は,自己の統治能力に対する不安から劣等感に駆られて専横化し,またホイッグ党政治家による国政のひとり占めを許した祖父ジョージ2世への不満から,失われた国王影響力の回復を熱望した。即位当初の10年間に6人もの首相をめまぐるしく交代させたのもそのためであったが,ようやく安定をみたノース卿政権(1770-82)のもとでアメリカ独立革命の勃発を招いた。しかしそれまでの間に,首相以下議会寡頭政治家の手にわたっていた官職推挙権は,その大半が国王のもとに奪回されたといわれる。王がフランス革命とその後の対仏戦争を少壮気鋭の首相小ピットの内閣(1783-1801,1804-06)のもとで迎えたことは幸運だった。王の全面的な信任を受けて議会内に再建トーリー党の支配を実現させたピット首相のもとで,責任内閣制度はほぼ確立したといえよう。王自身は多年の緊張の連続や皇太子(のちのジョージ4世)との不和などの結果,以前からの精神障害をいっそう悪化させ,1811年以降は正気がほとんど失われたため,皇太子が摂政となった。なお,王は農業改良に多大の関心を寄せたところから,〈農業家ジョージFarmer George〉と呼ばれた。
執筆者:松浦 高嶺
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報