改訂新版 世界大百科事典 「改良揚繰網」の意味・わかりやすい解説
改良揚繰網 (かいりょうあぐりあみ)
1888年ごろ九十九里浜の千葉県海上郡椎名内村において,千本松喜助,石橋太郎兵衛らの努力によりイワシを捕獲対象として開発された高能率の旋網の一種。長さ106間,幅21間ほどの麻網で,漁船2艘,漁夫26人を要したという。明治前期にはそれまで九十九里のイワシ漁網であった地引網や八手(はちだ)網(敷網の一種)が,イワシの接岸量の減少などもあって衰退過程をたどっていたので,より沖合に進出して能率的に魚群を捕獲できる能率漁網が求められていた。そのような要望にそって開発されたのがこの網で,関沢明清の紹介したアメリカ式巾着網と江戸内湾で使用されていた六人網とが開発のヒントとなった。これが旧来の揚繰網と異なっているのは,沈子綱に環をつってそれに締括綱を通し,網で魚群をまいたらすばやく網裾を締め括れるような構造にしたことで,それによっていったん網でまいた魚群の逃げ出す率が低く捕獲率が高かった。それに所要漁夫数でみても地引網や八手網よりずっと少なく,その操作も軽便であった。そして地引網主や八手網主の圧迫や反対に抗しながらかなり急速に発達普及した。県内についてみると,1896年の調査では房総漁村の地引網は219張なのに改良揚繰網の総数は746張であり,しかも九十九里の各漁村では今後さらに改良揚繰網の増加がみられる勢いであると述べられていた。千葉県外への伝播も順調であった。青森県では1891年に八戸の長谷川藤次郎が千葉県から導入し,それがもとになって96年に山形県吹浦村に,さらにそこから97年に秋田県由利郡小砂川地方に伝播した。新潟県では地方税の補助を受けて沿岸漁業組合連合会が93年に千本松喜助の指導を受けながら導入した。そのほか同じころに石川,福井,茨城,静岡,鳥取,島根,兵庫,岡山,広島,山口,徳島,高知,福岡,長崎,宮崎などの各県でも導入ないしその努力を行った。
執筆者:二野瓶 徳夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報