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政治と文学論争 せいじとぶんがくろんそう

百科事典マイペディアの解説

政治と文学論争【せいじとぶんがくろんそう】

第2次大戦敗戦直後,平野謙荒正人中野重治を中心に起こった論争。〈政治と文学〉は,戦前,プロレタリア文学運動と共産主義的革命運動とのかかわりのなかで問題として提起されていたが,錯綜した議論を経て,文学の政治への機械的な従属が主流的な見解となり,日本共産党の個々の政策の絵解きのような作品が現れるに至っていた。こうした事態,またこれらの運動の敗北を背景として,戦後《近代文学》に拠る平野・荒は,文学者の戦争責任とプロレタリア文学運動の功罪および転向問題とが不可分であること,文学の政治からの自立と作家の主体性獲得の必要を主張,これに対し《新日本文学》の中心であった共産党員作家中野が《批評の人間性》を書いて批判,論点は必ずしもかみ合わなかったが,以降執拗な論争が展開され,福田恆存加藤周一小田切秀雄など多くの評論家がこれに参加した。論争は多岐にわたり,帰結をみなかったが,これを通じて《近代文学》は戦後文学の主軸としての位置を確立し,大量の同人を得,一方中野の批判は政治主義的との評価が流通した。しかし現在は別の読み方も提示されている。

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世界大百科事典内の政治と文学論争の言及

【荒正人】より

…評論家。福島県生れ。幼時から各地を転々し鳥取一中時代に組合教会の洗礼を受ける。しだいに社会主義思想に傾き山口高校時代,学生運動に加わる。東京帝大英文科卒業。マルクス主義運動の敗退と転向を目撃し,戦中の“暗い谷間”を耐えた体験を基礎に,戦後本多秋五らと《近代文学》を創刊,先端に位置して活動した。〈第二の青春〉〈民衆とはたれか〉〈終末の日〉など高揚した評論に,エゴイズムを拡充した高次のヒューマニズムを唱え,世代論,主体性論,戦争責任論,中野重治らと論争した“政治と文学”論争など,戦後の文学思想問題の基本テーマを先駆的に展開した。…

【新日本文学】より

…新日本文学会発行の文芸雑誌。1946年(昭和21)3月創刊(創刊準備号は1月刊)。会は〈民主主義的文学の創造とその普及〉を綱領に掲げ,専門文学者の全国組織として,1945年12月30日に創立大会を開いて発足した。創立発起人は秋田雨雀,蔵原惟人,中野重治,宮本百合子ら9人。昭和初年までのプロレタリア文学運動を批判的にうけつぎつつ,より広い民主的な組織をめざして出発。46年にはプロレタリア文学批判をめぐって中野重治と,主として荒正人,平野謙を中心とする《近代文学》グループとの間に〈政治と文学〉論争が展開された。…

【平野謙】より

…評論家。京都生れ。本名は朗(あきら)。東京に育ち学齢前に岐阜の実家に帰る。岐阜中時代から文学に親しむ。八高をへて1930年東京帝大文学部社会学科入学。このころマルクス主義文学運動に関心を高め活動に入るが,運動の壊滅と大量転向,リンチ共産党事件に衝撃を受ける。戦後の46年本多秋五らと《近代文学》を創刊。運動挫折と戦中の体験を基礎に同年《島崎藤村――〈新生〉覚え書》を発表,〈宿命の特権化〉を唱え〈政治の優位性〉理論の人間蔑視を批判,中野重治らと〈政治と文学〉論争を展開し戦後文学の代表的批評家となる。…

※「政治と文学論争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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