百科事典マイペディア 「政治と文学論争」の意味・わかりやすい解説
政治と文学論争【せいじとぶんがくろんそう】
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…評論家。福島県生れ。幼時から各地を転々し鳥取一中時代に組合教会の洗礼を受ける。しだいに社会主義思想に傾き山口高校時代,学生運動に加わる。東京帝大英文科卒業。マルクス主義運動の敗退と転向を目撃し,戦中の“暗い谷間”を耐えた体験を基礎に,戦後本多秋五らと《近代文学》を創刊,先端に位置して活動した。〈第二の青春〉〈民衆とはたれか〉〈終末の日〉など高揚した評論に,エゴイズムを拡充した高次のヒューマニズムを唱え,世代論,主体性論,戦争責任論,中野重治らと論争した“政治と文学”論争など,戦後の文学思想問題の基本テーマを先駆的に展開した。…
…新日本文学会発行の文芸雑誌。1946年(昭和21)3月創刊(創刊準備号は1月刊)。会は〈民主主義的文学の創造とその普及〉を綱領に掲げ,専門文学者の全国組織として,1945年12月30日に創立大会を開いて発足した。創立発起人は秋田雨雀,蔵原惟人,中野重治,宮本百合子ら9人。昭和初年までのプロレタリア文学運動を批判的にうけつぎつつ,より広い民主的な組織をめざして出発。46年にはプロレタリア文学批判をめぐって中野重治と,主として荒正人,平野謙を中心とする《近代文学》グループとの間に〈政治と文学〉論争が展開された。…
…評論家。京都生れ。本名は朗(あきら)。東京に育ち学齢前に岐阜の実家に帰る。岐阜中時代から文学に親しむ。八高をへて1930年東京帝大文学部社会学科入学。このころマルクス主義文学運動に関心を高め活動に入るが,運動の壊滅と大量転向,リンチ共産党事件に衝撃を受ける。戦後の46年本多秋五らと《近代文学》を創刊。運動挫折と戦中の体験を基礎に同年《島崎藤村――〈新生〉覚え書》を発表,〈宿命の特権化〉を唱え〈政治の優位性〉理論の人間蔑視を批判,中野重治らと〈政治と文学〉論争を展開し戦後文学の代表的批評家となる。…
※「政治と文学論争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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