散種(読み)さんしゅ(その他表記)dissémination フランス語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「散種」の意味・わかりやすい解説

散種
さんしゅ
dissémination フランス語

フランスの哲学者デリダの初期の著作における用語。「種や精子を撒き散らすこと」のほかに、「意味を繁殖させて通常の意味論的な空間を破壊すること」という意味も重ねられている。デリダの1972年の論文集の題名でもあり、「撒種」と表記されることもある。この概念によってデリダは、ロゴス真理を収斂させるプラトンロゴス中心主義脱構築すると同時に、当時の文学理論における主題論的な分析をも批判しようとした。この概念が第一に標的にしているのはプラトン主義である。プラトンは『パイドロス』において、文字という技術は記憶の助けにはなるが、真の意味での記憶の訓練を妨げるものでもあり、ロゴス(理性、真理、話し言葉)という父の私生児にすぎないとみなした。それに対してデリダは、意識の自己現前には回収されてしまわない、意味の自己繁殖性を主題化することによって、プラトン主義そのものを支えているさまざまな二項対立(内部外部感性知性、真と偽など)を解体しようとする。散種の働きは、いかなる意味でも父なるロゴスには回帰しない私生児として、意味論的な領野そのものを破壊するものとされる。

 第二にデリダは、このような散種の働きを、たんなる経験的な多義性と区別する。当時のフランスの文学理論では、多義的な意味の戯れを展開する想像力の働きを分析する主題論的な分析が流行していた。しかしデリダによれば、こうした経験的な多義性はその背後に、それを集合させる一義的で全体的な意味を暗黙の内に前提している。この解釈学的立場に対してデリダの散種は、意味が自らを分割しながら他と関係し、それに置き換わりながら自己を反復していく働きそのものを肯定しようとするものであり、いかなる意味でも背後の全体的な意味を前提しないものである。

 このようなデリダによるプラトン読解は、プラトンのテクストの内部に、プラトン主義から逸脱するような働きを見いだすという脱構築的な読解のモデルを示すものであり、アメリカを中心とした脱構築批評に大きな影響を与えた。しかしこの散種の概念が、同時にプラトンの国家論、すなわちポリス都市国家)の内部と外部の政治的な区別や、共同体の記憶の脱構築にかかわるものであることにも留意しなければならない。

[廣瀬浩司]

『ジャック・デリダ著、高橋允昭訳『ポジシオン』(2000・青土社)』『高橋哲哉著『デリダ――脱構築』(2003・講談社)』『Jacques DerridaLa dissémination(1972, Éditions du Seuil, Paris)』

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