新倉掘抜(読み)あらくらほりぬき

日本歴史地名大系 「新倉掘抜」の解説

新倉掘抜
あらくらほりぬき

河口湖かわぐちこ町の河口湖の水を現富士吉田市新倉方面に送水するために造られた全長約四キロの用水暗渠。河口湖町船津ふなつから新倉に至る。近世の新倉村は南東部にけん丸尾とよばれる富士山溶岩流の台地があり、この台地が透水性で地下水はすべて岩盤の下を流れ、また他地域よりの用水路の建設を妨げるため常に水不足であった。一方河口湖は流出口がないため、大雨時には湖畔の村々は冠水の被害を受けていた。嘉永三年(一八五〇)の掘抜工事継続拝借金再願書(旭町連合自治会文書)などによれば、元禄(一六八八―一七〇四)の頃に領主秋元喬知により河口湖と新倉の間に暗渠による用水路工事が施されたと伝える。享保一六年(一七三一)には川口かわぐち(現河口湖町)、新倉村・下吉田しもよしだ村の連名で掘抜普請願(萱沼巧弥家文書)が提出され、同二〇年には江戸町人より掘抜工事請負願が出されるなど(「差出証文」旭町連合自治会文書)、工事着工への動きがあり、さらに寛政一〇年(一七九八)には巡見使の見分と測量が行われ(「湖水掘抜野帳」奥脇孟之家文書)、文化八年(一八一一)には巨摩郡小倉こごえ(現須玉町)杢右衛門による工事請負願が提出されたが(同一二年「掘抜反対につき願書」渡辺綱夫家文書)、いずれも実現には至らなかった。

弘化四年(一八四七)春大雨により河口湖と新倉村の間のうそぶき山の一部が崩落して古穴の一部が発見され、試掘を行ったところ元禄の頃施工された穴筋であることが確認された(嘉永六年「掘抜につき金子借用願書」渡辺文邦家文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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