朝日日本歴史人物事典 「新島八重子」の解説
新島八重子
生年:弘化2(1845)
戊辰戦争の会津若松城の戦で,銃をもって戦った会津藩士の娘。明治期の教育者。会津藩砲術師範山本権八の娘。兄覚馬から洋銃の実戦操作を学ぶ。会津籠城戦(1868)の際には,男装しスペンサー銃を肩に担いで入城。ときには夜襲戦にも参加した。開城後,男装のまま捕虜となるが,女性であることが判り追放される。明治4(1871)年,京都へ行き,失明した覚馬(のち京都府顧門)を助ける。女紅場(明治5年4月,京都府女学校)の教師をし,同志社を覚馬の協力で創立した新島襄と再婚。式の前日に受洗,キリスト教式の結婚式をあげる。以後同志社の経営に参加し,伝道と女子教育に尽くした。夫の死後は学校経営の傍ら,日赤篤志看護婦人会の幹部となり,日清・日露戦争の際は,予備病院で救護活動に参加した。<著作>「男装して会津城に入りたる当時の苦心」(『婦人世界』1909年11月号)<参考文献>「新島八重子刀自米寿記念号」(同志社校友同窓会報61号)
(柴桂子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報