新島八重子(読み)にいじま・やえこ

朝日日本歴史人物事典 「新島八重子」の解説

新島八重子

没年:昭和7.6.14(1932)
生年弘化2(1845)
戊辰戦争会津若松城の戦で,銃をもって戦った会津藩士の娘。明治期の教育者。会津藩砲術師範山本権八の娘。兄覚馬から洋銃の実戦操作を学ぶ。会津籠城戦(1868)の際には,男装しスペンサー銃を肩に担いで入城。ときには夜襲戦にも参加した。開城後,男装のまま捕虜となるが,女性であることが判り追放される。明治4(1871)年,京都へ行き,失明した覚馬(のち京都府顧門)を助ける。女紅場(明治5年4月,京都府女学校)の教師をし,同志社を覚馬の協力で創立した新島襄再婚。式の前日に受洗,キリスト教式の結婚式をあげる。以後同志社の経営に参加し,伝道と女子教育に尽くした。夫の死後は学校経営の傍ら,日赤篤志看護婦人会の幹部となり,日清・日露戦争の際は,予備病院で救護活動に参加した。<著作>「男装して会津城に入りたる当時の苦心」(『婦人世界』1909年11月号)<参考文献>「新島八重子刀自米寿記念号」(同志社校友同窓会報61号)

(柴桂子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「新島八重子」の解説

新島八重子 にいじま-やえこ

1845-1932 明治時代の教育者。
弘化(こうか)2年11月3日生まれ。山本覚馬の妹。戊辰(ぼしん)戦争では会津(あいづ)籠城に参加。明治9年同志社の創立者新島襄(じょう)と結婚。以後,夫とともにキリスト教の伝道と子女の教育につとめ,同志社女子部の基礎をつくった。昭和7年6月14日死去。88歳。陸奥(むつ)会津(福島県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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