新島 八重子
ニイジマ ヤエコ
明治〜昭和期の教育者 新島襄の妻。
- 生年
- 弘化2年11月3日(1845年)
- 没年
- 昭和7(1932)年6月14日
- 出生地
- 陸奥国会津(福島県)
- 旧姓(旧名)
- 山本
- 別名
- 別名=新島 八重(ニイジマ ヤエ)
- 経歴
- 合津藩の砲術師山本権八の長女に生まれる。戊辰戦争の際には、鶴ケ城に籠城、男子とともに奮戦した。明治4年京都に移り、女紅場(のちの京都府立第一高女)の権舎長兼教道試補となる。8年京都最初の女性洗礼者となり、9年1月同志社大学の創立者・新島襄と結婚。以後、夫とともにキリスト教の伝道と女子の教育に半生をつくした。襄の没後、日本赤十字社に加盟し、日清・日露戦争の際には従軍看護婦として活躍した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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新島八重子 にいじま-やえこ
1845-1932 明治時代の教育者。
弘化(こうか)2年11月3日生まれ。山本覚馬の妹。戊辰(ぼしん)戦争では会津(あいづ)籠城に参加。明治9年同志社の創立者新島襄(じょう)と結婚。以後,夫とともにキリスト教の伝道と子女の教育につとめ,同志社女子部の基礎をつくった。昭和7年6月14日死去。88歳。陸奥(むつ)会津(福島県)出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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