新海竹蔵(読み)シンカイ タケゾウ

20世紀日本人名事典 「新海竹蔵」の解説

新海 竹蔵
シンカイ タケゾウ

大正・昭和期の彫刻家



生年
明治30(1897)年6月12日

没年
昭和43(1968)年6月13日

出生地
山形

主な受賞名〔年〕
芸術選奨文部大臣賞〔昭和29年〕「少年

経歴
明治45年上京、叔父新海竹太郎について彫塑を学んだ。大正4年第9回文展で「母子」が初入選。文展、帝展に出品を続け、13年には第11回院展木彫姉妹」を出品。14年日本美術院院友となり、昭和2年同人に推され、院展彫刻部で活躍、木彫「出羽ケ嶽等身像」「婦人像」「砧」などを発表。17年茨城県五浦にブロンズの岡倉天心像レリーフを制作した。戦後は木彫乾漆による「在田翁試作」「少年トルソー」などを制作。36年院展彫塑部解散で彫刻家集団(SAS)を結成、38年国画会彫刻部新設には会員として参加。他に「三味線試作」「二つのトルソー」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新海竹蔵」の意味・わかりやすい解説

新海竹蔵
しんかいたけぞう

[生]1897.6.12. 山形
[没]1968.6.13. 東京
彫刻家。仏師の家に生れる。 1912年上京し,伯父新海竹太郎に彫塑を学ぶ。 15年第9回文展に『母子』が初入選,24年第 11回再興院展に木彫『姉妹』が入選し,そののち同人となる。木彫,塑像ともによくした。 52年から東京教育大学講師として後進指導。 54年には第1回現代美術展出品の『少年』が芸術選奨文部大臣賞を受賞。 61年 SAS (彫刻家集団) を結成し,63年国画会に合流して彫刻部を再興した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「新海竹蔵」の解説

新海竹蔵 しんかい-たけぞう

1897-1968 大正-昭和時代の彫刻家。
明治30年6月12日生まれ。伯父の新海竹太郎に彫塑をまなぶ。大正4年文展に「母子」が初入選。以後,院展で活躍。昭和2年日本美術院同人となる。戦後は乾漆の手法を工夫し,「少年トルソー」などを制作。36年桜井祐一らと彫刻家集団S・A・Sを結成。のち国画会の会員となる。昭和43年6月13日死去。71歳。山形県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「新海竹蔵」の解説

新海 竹蔵 (しんかい たけぞう)

生年月日:1897年6月12日
大正時代;昭和時代の彫刻家
1968年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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