新町支石墓群(読み)しんまちしせきぼぐん

日本歴史地名大系 「新町支石墓群」の解説

新町支石墓群
しんまちしせきぼぐん

[現在地名]志摩町新町

引津ひきつ湾沿岸の旧砂丘上にある弥生時代早期から前期の支石墓を中心とする墳墓遺跡。国指定史跡。大正六年(一九一七)中山平次郎が紹介し古くから有名な遺跡であったが、本格的な発掘調査は昭和六〇年代からである。調査された墳墓は五七基で、その三分の一程度が支石墓と考えられている。墓群は南北二群に分れ、北(弥生早期)から南(弥生前期前半)へと墓域を移す。支石墓の内部主体は成人用の木棺乳幼児用の甕棺で、そのかたわらには小壺が供献されていた。人骨の保存状況もよく、分析結果では低顔・低身長という縄文人的特徴を示し、風習的抜歯を施した例も確認されたことから、被葬者は北部九州沿岸地域に居住していた縄文人系の人々であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「新町支石墓群」の解説

しんまちしせきぼぐん【新町支石墓群】


福岡県糸島市志摩新町にある墓群。玄界灘に面した糸島半島の南西側に位置し、引津湾に面した砂丘上に所在。1986年(昭和61)に本格的な発掘調査が実施され、弥生時代早期から前期前半の支石墓などの墓域が確認された。以後数次にわたって範囲確認調査が実施された結果、墓域はその後、東側に広がり、南側の砂丘裾では南北約80m、東西約140mにわたっていた。2000年(平成12)に国の史跡に指定された。調査では、合計57基の支石墓・甕棺墓(かめかんぼ)が確認され、半数以上が支石墓だった可能性がある。支石墓からは人骨が出土しており、乳幼児は甕棺に埋葬され、成人は木棺に埋葬されていたと推定されている。人骨は低顔・低身長という縄文人的な特徴を示し、縄文的な抜歯が共通して確認された。さらに左大腿骨に朝鮮系の柳葉形磨製石鏃(せきぞく)が刺さった男性人骨も発見され、朝鮮系の支石墓を多く含む弥生時代初期の墓制をよく示している。現在、この支石墓の上には覆屋がかけられ、新町遺跡展示館として調査当時のようすが公開されている。JR筑肥線筑前前原駅から昭和バス「新町」下車、徒歩約5分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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