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方臘の乱 ほうろうのらん

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世界大百科事典 第2版の解説

ほうろうのらん【方臘の乱】

中国,北宋末期に浙江地方に起こった反乱。方臘は睦州青渓県(浙江省)の漆園経営者であったといわれるが,方家の雇用人という説もある。当時,徽宗の遊興に供するため,宰相蔡京は蘇州の富民朱勔(しゆめん)父子に命じて江南から奇石珍木を徴発して都に運ばせ,この地方の人民を苦しめた。これを花石綱という。1120年(宣和2)10月,方臘は〈朱勔を殺せ〉をスローガンにして蜂起し,みずから聖公と号し,年号を永楽と定めた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

方臘の乱
ほうろうのらん

中国、北宋(ほくそう)末期、浙江(せっこう)省に起こった農民反乱。方臘は睦(ぼく)州青渓(浙江省建徳県)で漆園を営む中地主で、宗教的秘密結社「喫菜事魔(きっさいじま)」(マニ教系とする説もある)の指導者でもあった。宰相蔡京(さいけい)の政権下、花石綱(かせきこう)(珍木奇石の徴発・運搬)など過酷な収奪が行われ、方臘はその推進者朱(しゅめん)を誅することを名目として1120年決起し、自ら聖公と称し永楽と改元した。翌年8月、童貫(どうかん)の率いる官軍に捕らえられ殺されたが、この間経済先進地である浙江地方の約100万の民衆が反乱に加わった。鎮定後、花石綱の撤廃や租税の減免が行われたが、この混乱によって北方の新興勢力、金に対する防備が弱められ、北宋はわずか4年後に滅亡することとなる。[島居一康]

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